【前回記事】「「パナソニック宣伝100年の軌跡」(8-1)スター商品を生み出す—テレビ・録画機器・カメラの広告篇」はこちら
2018年に創業100周年を迎える、パナソニック流の宣伝に迫る対談。第9回は「オーディオの広告篇」です。ラジオにはじまり、カセットデッキに、コンポ、ポータブルオーディオと目覚ましい進化を遂げてきた、パナソニックのオーディオ機器。
2014年にはオーディオブランド「Technics(テクニクス)」を復活させ、“音”への接し方をさらに豊かにしていこうとしています。今回は、そんなオーディオのCMに出演した歌手、女優の相田翔子さんと、パナソニックのCMに長年携わってきた元電通のクリエイティブディレクター・宇和川泰道さんの対談です。
商品と共に成長していくキャスティングの妙
—相田さんがオーディオ製品のCMに出演したのは、女性デュオ「Wink」としてヒット曲を次々と発表していたころでした。
宇和川:最初にWinkの起用を提案したのは、パナソニックの宣伝部門の方でした。当時は随分と多忙だったのではないでしょうか?
相田:めまぐるしい毎日を送っていたのはたしかで、CMに出演した1989年の暮れに、『淋しい熱帯魚』で日本レコード大賞を受賞したんです。実はパナソニックさんからお祝いに自分の名前が入ったオリジナルのヘッドホンステレオをいただいて。音が漏れないという画期的な商品だったので、いつも持ち歩いていましたね。
宇和川:パナソニックは、当時のWinkのように、人気絶頂になる前の、てっぺんに向かっている人を広告に起用するのが上手なんですよね。思い返してみると、私が担当したどのCMも、KinKi Kidsなど人気が上り調子の方が起用されていて。一般には名前も知られていないときに、「これから人気が出るグループだから」と言われて起用したこともありました。
相田:出演したCMは、大量に流れたこともあって、反響が大きかったですね。周りから「見たよ」とよく声をかけられました。
宇和川:CMの出稿量が多かったのは、オーディオ機器を「パナソニック」のブランド名で打ち出すようになった時期だったということもありますね。世間に早く浸透させる必要がありましたから。WinkのCM出演は2年間にわたり、若者をターゲットにした、オーディオ機器の広告が展開され、人気を博しました。
相田:シングル『淋しい熱帯魚』から11枚目の『真夏のトレモロ』までですから、長く起用していただきましたね。
宇和川:『淋しい熱帯魚』をはじめ、CMソングとして流したい、いい歌がそろっていたことや、Winkの人気が高くCMの評判も良かったことなどがその背景にはありますね。パナソニックでは同じ出演者を長年起用して広告を続けることがありますが、役者さんならまだしも、音楽業界は移り変わりが激しいですからね。アーティストで2年間、というのは、それだけWinkという存在が特別だったともいえます。
相田:長く続いたおかげで、プレゼントキャンペーン用のグッズをつくっていただくなど、いろいろなことを経験させてもらいました。商品はその間、どんどんスタイリッシュになっていって、優れた商品のCMに出演できることは誇りでした。その気持ちは、私だけでなく、周りにいる方たちも同じで、スタイリストさんもCM用の衣装づくりに燃えていたのを覚えています。