朝ドラ「あさが来た」のオーディション秘話
吉岡:雑誌や取材で「ブレイクされてどう思われますか?」と言ってくださるんですけど、私は本当にピンと来てないんですよね。ブレイクしたという感覚がほぼゼロに近くて、はじまったときの仕事のないときの感覚と今も同じです。全く同じではないけど、結構似ていて。いつでも次の日にはなくなってしまう砂みたいな感じで、この仕事はすくっては落ちるみたいなものだと思います。
澤本:僕らから見るとブレイクしていると見えるけど、本人はそこそこの不安をもって。
吉岡:もちろん。駆け出しという感じです。駆け出しはじめた。
権八:本人の認識と第三者は違うと思うけど、徐々にオーディションに受かるようになっていったはずで、その結果、今があると思うんですけど、何か変わったことってありますか?
吉岡:うーん、学生映画を一緒につくっていた友達が社会人になると実感した日と、具体的な作品でいうと、NHKの「あさが来た」のオーディション中に変わった感覚がありました。その時期はかぶってるんですよね。
澤本:僕らがたぶん吉岡さんを最初に知ったのも「あさが来た」のときで、それより前はなかなかこの子を見つけるのは大変じゃないですか。「あさが来た」ぐらい出ていると、この人は目立ってるなということだと思うけど。それまでとは何が違ったんですか?
吉岡:オーディションを受けることと繋がるんですけど、人との向き合い方、作品との向き合い方が変わりました。私は当時大学生で、オーディションに受からなかった時期、つまり学生映画をつくっていた時期は他に満たしてくれるものがたくさんあって、生活自体が青春だったんですよね。
だから、死ぬ気で、喉から手が出るほど、内臓ぐちゃぐちゃになるぐらい本気でやってたのか?と聞かれると、できてなかったと思っていて。全部がなくなるんだよと言われたときに岩にしがみつくような思いで言葉を発したというか。
「あさが来た」のオーディションは一次から受けていくんですけど、「私、必ず受かります」とずっと言っていました。「私、この作品に出ないと一生後悔するし、この作品に出たい。朝ドラに出たいんじゃなくて、これに出たい。だから、お願いだから最終まで受けさせてください」と」と言い続けました。
「とにかく見てほしい」とずっと言ったのが初めてだったんですよね。だから、これがきっかけかなと思います。
澤本:僕的には朝ドラもそうですけど、ドラマ「ゆとりですがなにか」が好きだったんです。
吉岡:ありがとうございます。ここらへんはかなり開き直ってる時期ですね。「もう何でもやってやらぁ」みたいになっていて。臆病で遠慮がちで自分なんて・・・とやっていた自分が恥ずかしいと思っている時期というか。何もできないんだけど、やります!みたいな。
澤本:役柄も全然臆病じゃない役だったもんね。
吉岡:そうです。面倒くさい女みたいな。あれは悪役になるんですかね。立ち位置はわからないけど、ちょっとイラつかせる役みたいのも初めてで。また新しい扉を水田伸生監督が開かせてくれたなという感じがしましたね。
権八:いろいろな役をやられていますが、普段から役づくりで意識していることはありますか?
吉岡:変わってたり、歪んでたり、トリッキーな役を任せていただくことが多いのですが、そういう子達は意外とみんなに愛されないことが多いんですね。みんなから「嫌い、醜い、面倒くさそう」と、マイナスな言葉をかけられちゃうから、私だけは誰よりもその子の理解者でいたいと思っています。
一番の味方でいるというか、彼女たちがするおかしな言動に対して理解する姿勢で本を読む、絶対に否定しない。これ嫌いだわとは思わない。やり方は違うけど、そうなっちゃうよね、わかるよ、と思いながら読むようにしてます。