宣伝メッセージを大量ぶつければ、消費者が動くという神話
そもそも「コンテンツマーケティング」や「ネイティブアド」も、もはやネット上ではユーザー側に主導権があり、ユーザーにノイズとなる広告には存在意義がないからこそ、生まれた手法だと思います。ノイズとしての広告を大量に配信するのではなく、企業自らが改めて「コンテンツ」をつくり、それを強制配信するのではなく、ユーザーにとってネイティブな場所に表示するという概念だったはず。
でも、それがなぜだか日本では全て北風的な「宣伝行為」に置き換わってしまい、コンテンツマーケティングとは名ばかりに、役に立たない宣伝記事の数々や、SEOだけが目的のコピペ記事をまとめたサイトになってしまったり。また、ネイティブアドとは名ばかりの従来通りの宣伝バナーのメッセージを、記事の体裁にしただけの記事広告になってしまったりしているようです。
その結果、とにかくその「宣伝メッセージ」を無理矢理ユーザーに大量に表示するために、当然ながら安い広告枠を大量に買い付け、質の悪いメディアに広告が大量に表示されてしまうという問題も発生しているように思います。
それもこれも、まだまだ多くの広告主が、宣伝メッセージを大量に消費者にぶつければ消費者が動くという神話を信じてしまっているからのように思います。
テレビCMが効果を発揮するには、視聴者に3回見てもらう必要があるというスリーヒッツセオリーが例として使われることがありますが。
これはあくまで視聴者の心に届く広告であれば、3回見てもらえれば効果が発揮できるのであって、視聴者の心に届かない広告を何回見せても効果が出ないどころか、見させ過ぎて嫌われてしまうリスクさえあるはずです。
友人同士の会話と考えれば、当たり前のことも、なぜかネット広告では、相手の気持ちを考えることよりも「宣伝行為」が優先になっていることが多いような気がします。
少なくともネット上、特にソーシャルメディア上は人間同士の会話の場所。そこに当然のように土足で「宣伝行為」をしていたら、その広告だけでなく、その企業も嫌われてしまうのは、ある意味当然でしょう。
そう考えて、ネット上の成功事例を改めて見てみると、日清食品のさまざまな面白い企画のように、ネットユーザーに会話のネタを提供しているものや、マクドナルドのユーザーがツッコミたくなる要素満載のキャンペーンであったり、シャープのTwitterアカウントのようにユーザーと一緒に会話を楽しむ存在であったり、いわゆる「宣伝行為」ではないユーザーとの会話にギアチェンジしていることが、明白のように思います。
将来、若い世代のメディア消費がマスメディアからネットにシフトしていくことを考えれば、今から若い世代が楽しく受け入れてくれる新しい「ネット広告」を確立しなければいけないのは、間違いありません。
そういう意味で、真剣に、本当の意味での「コンテンツマーケティング」や「ネイティブアド」が注目される理由を考えなければいけないはずです。
広告主の皆さん、来年はぜひネットでも「宣伝行為」が効くという考えをあえて、あきらめてみて、ゼロからネット広告のあり方について、考えてみてはいただけないでしょうか。