編集協力:AMD株式会社
経営者であることすら忘れないとリスクが大きすぎてできない仕事
千布:いま、あらゆる業界において社会課題の解決につながる事業や経営のあり方が求められています。僕たちも広告クリエイティブ業界における、社会課題解決への関わり方を模索しているところで、現在のブランディング・エージェンシーからソーシャルクリエイティブグループへと進化を遂げようとしているところで是非、山口さんのお話を伺いたいと思っていました。山口さんは「途上国から世界に通用するブランドをつくる。」という志のもと、2006年にマザーハウスを立ち上げられました。約10年が経過し、今日時点でご自身の理想がどこまで実現しているとお考えですか。
山口:達成度は20%くらいかなと思います。販売と生産で感覚が少し違っていて、売ることや会社を大きくすることにそこまで強い意欲がなかったのに、33店舗まで増えたことは想像していた以上でした。一方で生産については当初の事業計画だと、今頃10カ国くらいで生産ができているはずだったので現実は厳しかったな、と。それぞれの国で出会った職人たちとゼロから1をつくるということをしているので、ひとつの国で生産ができるようになるまでは、5年はかかっていますね。もちろん、これまでの経験があるので、もう少しスピードアップしていけるとは思うのですが。
千布:山口さんは経営者であり、デザイナーでもあります。商品のアイデアやデザインを考える際は、マーケットのニーズを意識しているのでしょうか。
山口:新しい国で、新しいプロダクトをつくろうとしている時は、経営者であることも忘れているくらいなので、マーケットニーズなんて、まったく考えていません。経営者であることを忘れでもしなければ、自分が現地に入り込んで仕事するなんて、リスクが大きすぎてできませんでした。
例えば、ジョグジャカルタでジュエリーをつくり始めた時には、村の中での聞き込みから始めました。そこでシルバー職人だったという方の情報を得て、会いに行き、さらに職人魂を奮い立たせて新しいものづくりを一緒に始めてもらう。そこでやっとファーストサンプルが出来上がり、副社長の山崎に見せる段階になって、マーケットニーズを考えるようになります。その場面で、山崎が「これは、いける!」と言うかどうかは、いつもデザイナーとして緊張しますね。ですからものづくりの前半と後半で、マインドが全く違うんです。
2016年9月にブランディング・エージェンシーのAMDと、宣伝会議のマーケティング研究室が共同で立ち上げた研究会。約1年をかけて「今、求められるクリエイティブチームのありかた」をテーマに、様々な立場の広告主企業の担当者などと議論を行い、そこから得られた知見を発信していきます。