「闘う哲学者」から受験生に贈るメッセージとは?(ゲスト:村田諒太)【後編】

村田さんから、闘う受験生にメッセージ

澤本:挑戦という話でいうと、受験生は今が山場じゃないですか。闘いという意味では受験も一種の闘いで、受験日を目指して頑張ってきてるわけですよね。

中村:そういうリスナーは多いんじゃないですか。

澤本:そこで「闘う哲学者」と言われてる村田さんに、受験生に一言お願いしたいですね。

村田:えー、受験したことないですもん(笑)。

中村:ボクシングでは試合で緊張するのは練習が足りないせいだと。120%練習したら本番では100%出せるとよく聞きますが。

村田:みんな、緊張する自分と闘うこと自体が間違ってるんですよ。緊張しちゃいけないではなくて、緊張して当たり前だと受け入れてあげること。緊張した状態の自分が実力だと思うことです。本番において100%の実力なんて出せるわけがないんです。

だから7、8割ぐらい、かつ緊張してる状態が自分の実力だと。緊張しちゃいけないと思うと気持ちがケンカしちゃうんですね。だからケンカさせないことです。緊張を受け入れてあげると自然に良い形でコントロールできるようになります。

澤本:ということは、緊張して実力が出せなかったではなくて、出したのが実力だということですね。

村田:そうです。緊張してる自分も含めて実力なので、緊張を取りたい、緊張しなければいつも通りできたなどと思うと、いつまでもそこから抜けられません。だから緊張と闘わないことです。受け入れてあげる。緊張含みで自分の実力だと思うこと。

澤本:村田さんでも緊張はするんですか?

村田:もちろんします。リングに上がる頃はもう開き直ってるのでしないですけど、試合の3日前ぐらいまでは緊張しますし。だから、僕は可視化します。なぜ緊張するのかということをメモします。

極端は話、僕はこのスタジオの密室で世界一強い男と殴り合うのであれば何も怖くないわけです。ボクサーとしてどれだけ強いのか、パンチ力があるのか、技術があるのかを試してみたいという好奇心があるから。それにもかかわらず、プロボクシングの興行のリングに上がると緊張するのはなぜだろうと。

考えていくと、殴られたり負けたりすることに対する恐怖ではなくて、周りが見ていることに対する恐怖なんです。第三者の評価、みんなに勝った負けたと言われることに対する恐怖。それはボクシングの競技性とは全く違うじゃないですか。

では、人に見られていることをコントロールできるのか? できない。じゃあ、自分ができることをピックアップして、それだけをしていくと。わからないことが人間は不安になるので、可視化して、こういうことに緊張してるんだとわかるようにすることが僕の中では大事ですね。

中村:僕が最近よくやるのは、朝起きたときに何か心に引っ掛かった事象をメモして抽象化するんです。例えば、歌の歌詞ってかなり抽象化されてるんですよ。具体的なことを言うと、ほとんどの人のオケージョンにはまらないから。

私は昨日5時3分にフラれました、鼻水が出ていたという具体的なことではなく、寒空の中、鼻の奥がキーンと痛いが胸の奥がキュンとなる、のように。原理原則的な話に近づけていくことを僕は抽象化と呼んでるんですが、そうすることでもう少し深層心理、原理原則、人の行動規範に近いものが見えてくるんじゃないかと思ってやっています。

そう考えると、緊張している状態は、みんなの期待を真に受けすぎちゃっている状態かもしれないですね。

村田:そうですね。真に受けているし、かつ勘違いしてるんです。

中村:そんなにみんな期待してないかもしれないのに。

村田:親はもちろん受験生である子どもに受かってほしいと期待しています。でも、仮に失敗したとして、1年、2年、人生が遅れたところでそれに対してダメという親だったら、そんな親と一緒にいる必要はないんですよ。

一同:(笑)

村田:究極論で言えばですけど、そんなことは気にしなくてよくて。じゃあ何に緊張してるのかは、その人達もわかると思うので。

次ページ 「挫折を乗り越えるのに必要なのは、努力でなく「結果」」へ続く

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