大阪で、アーティストと一緒にアジアで戦う
—そもそも、大阪を拠点にしているのはなぜですか?
庄野:引越しも多かったのですが、大阪がいちばん長く、何も考えることなく大阪の会社に就職し、その後独立しました。がむしゃらに仕事をするうちに関西のアーティストやイラストレーターのネットワークができていたという感じです。
vision trackを立ち上げて来年で20年を迎えるのですが、長い間危機感がありまして。考えるきっかけになったのは、やはりマーケットのサイズ感ですね。製造や企画開発はどうしても東京が中心になり、1つの都市というよりかはほぼ「日本」じゃないかなと。感覚的には、東京対大阪というより日本対大阪。当然、大阪を拠点に活動すると国内だけで発展させるのは難しいと思いました。
—そこでアジアへ意識が向かったのですか?
庄野:もし東京が拠点だったらアジアを目指す必要がなかったかもしれません。そのような意識を持ちつつ、大きなきっかけとなったのはある企画書の言葉と上海万博です。
僕が師匠だと思っている方とご一緒した時、企画書の中に「GO WEST」という言葉があり、これからは東ではなく西、つまりアジアに向いていくと書いていました。その言葉にハッとなって同時期くらいに、知人の紹介でちょうど上海万博パビリオンの仕事をし、その次に南京にできる商業施設の立ち上げに関わりました。
メインビジュアルのセレクトを含め、ヴィジュアルに関することの大部分を任せてくれました。オーナーと直接話ができたというのもあるのですが、大きなお金が動くこと、仕事が決まっていくスピード感含め、とてもエキサイティングでしたね。もしかすると日本とは別の場所で、これはアジアでアーティストが活躍できる可能性があるぞ、と。これが8年くらい前の話です。
その体験をヒントにずっと構想し準備を進めてきて、ようやく最近実現できたことがあります。それが、「ubies」というプロジェクトです。