さて、どんなイメージが浮かんだでしょうか。ここで試しにグーグルで検索してみたいと思います。ことばの「画像」検索です。以下にその検索結果のリンクを貼りましたのでもしよろしければご覧ください。
【写真】画像の検索結果
[LOVE]
[FREEDOM]
はたして、事前に予想していたイメージとのギャップはどれくらいあったでしょうか。読者の方はすでにお気づきかもしれませんが、これらはすべて「目に見えないもの」たちです。目に見えないということは、人類が誕生した時点では「この世のどこにも存在していなかった」ということでもあります。
つまり、私たち人類が、どこかの時点で、何かの必要性を感じて、「誰かの頭の中」でつくり上げた新しいコンセプトということです。それを人類は「概念」と呼んできました。
それぞれにどこかの時点で生まれた「概念」は、誕生してから長い年月を経ても依然として目には見えず、誰かと誰かの頭の中にあり続けています。だからこそ、それが集団社会で使われる時には、議論が大きく割れてしまうとも言えます。
たとえば、政府が「国民に『平等』に税金を支払ってもらいます」という時、消費税のような「一律」10%の制度も平等であるし、お金持ちからは20%、お金を持っていない人からは5%という手法も、どちらもある種の平等です。つまり、概念には明確な定義がないので、「今回は『これこれ』をもって平等とします」といった前提を共有しない限り、各自が思い描くイメージと一致しないままミスコミュニケーションが続きます。
[正義]や[平和]なども同様です。今回のコラムでは詳細を省きますが、東京外語大で私が教えている生徒は紛争当事国からの留学生で、彼らはみな「平和」を学びに来ている生徒たちです。ところが、互いの「平和観」の違いで激しい議論になったりします。[正義]や[幸福]、[安全][安心]など、一見世界中の誰もが共有していそうなことばも、同じように人によってかなり異なるイメージを持っているのです。
【写真】画像の検索結果
[PEACE]
おそらくこれまでも、[はやい]や[おそい]、または[かわいい]や[かっこいい]など形容詞の類を使う時には、その意味が「主観的」で「相対的」な意味しか持っていないということを多くの人が認識していたことと思います。「あの人、かっこいい(かわいい)よね?」と共感を求められた相手を見て、ちょっと違うかなと首をかしげた経験がある人も多いのではないでしょうか。
しかし私たちが思っている以上に、普段使っていることばの中には「目に見えないもの」を言語化していることが多く、だからこそ各自の頭の中の検索結果のイメージが異なっている可能性は非常に高いのです。「ハートマーク」や「ピースマーク」など、多くの概念に対して「シンボル」を作ってきた理由にはそういう背景があるのかもしれません。
いずれにしても、そこにこそ「コミュニケーションをする意味」が存在しています。つまり、もしも私とあなたが、あなたと誰かの頭の中が「完全に同じ」なのであれば、そもそもコミュニケーションをする必要がありません。私たち一人ひとりの頭の中が、本質的に、決定的に違っている。ゆえに、私たちはこれほどまでにコミュニケーションをとりたいと欲しているのではないか。そんな風に「私は」考えていたりします。
伊藤剛(いとう・たけし)
1975年生まれ。明治大学法学部を卒業後、外資系広告代理店を経て、2001年にデザイン・コンサルティング会社「asobot(アソボット)」を設立。主な仕事として、2004年にジャーナル・タブロイド誌「GENERATION TIMES」を創刊。2006年にはNPO法人「シブヤ大学」を設立し、グッドデザイン賞2007(新領域デザイン部門)を受賞する。また、東京外国語大学・大学院総合国際学研究科の「平和構築・紛争予防専修コース」では講師を務め、広報・PR等のコミュニケーション戦略の視点から平和構築を考えるカリキュラム「ピース・コミュニケーション」を提唱している。主な著書に『なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか』(光文社)、これまで企画、編集した書籍に『被災地デイズ』(弘文堂)、『earth code ー46億年のプロローグ』『survival ism ー70億人の生存意志』(いずれもダイヤモンド社)がある。