「サザエさん」と「マーケティング」に共通する、低徊趣味の日本の文化
生産管理や技術開発では世界標準の「実務の体系」を数々と築き上げてきた日本の企業ですが、ブランディングやマーケティングのような抽象的な概念を操って実務を体系立てるのはあまり得意ではないようです。丸山眞男という思想史家は、日本の(哲学)思想には体系がない、というようなことを言いましたが、それはビジネスの世界にも当てはまりそうです。最もこれは文化なので、本来これが良くてあれが悪い、というもの類の話ではありません。
かくある文化の表層たるひとつの例として、「サザエさん」は日本以外では他のどこの国にも受け入れられない、という話を聞いたことがあります。あれは夏目漱石が言うところの「低徊趣味」で、結局イベントらしいイベントは何も起こらない、物語の構造(ナラティブ・ストララクチャー)も主張も教訓も何もないからだそうです。徒然草や枕草子も、我々日本人からすると大変美しい文芸作品ですが、構造も主張も教訓もない、という意味では首肯せざるを得ません。
「サザエさん」に関して、例えばカツオがナカジマに窮地を救われて、友情の大切さを学ぶ、などと言った物語の構造があれば話は別なのでしょう。実際そのような物語の構造は、少年ジャンプ系の漫画やアニメで活用されていますし、結果それらは世界中で人口に膾炙されています。くしくも、週刊少年ジャンプは300円(くらい)の商品ですが、300円のFMCGの世界でも世界で伍していくためには、ジャンプ漫画が「物語の構造」を取り入れたように、日本企業もマーケティング「実務の体系」を自ら構築していく必要があるのではないでしょうか。