ハリルホジッチ監督の解任から、プロジェクトマネージャーの採用、任命の教訓を得る

プロジェクトの勝利条件は、「18年ロシアW杯で8強入りするチームをつくる」

新監督招聘プロジェクトの主要メンバーは、当時の技術委員長・霜田正浩氏。霜田氏はアギーレ監督を原博美氏と共に招聘した主要人物であり、アギーレ監督契約解除時に辞意を申し出ていたそうですが、留任され、新たな監督探しのプロジェクトマネージャーとなります。

アギーレ監督招聘時に掲げた、18年ロシアW杯で8強入りするチームづくりには、W杯出場権の獲得、本大会グループステージ突破実績があるなど、「世界レベルでの経験が豊富」であること。日本の良さである技術や瞬発力、持久力を生かすサッカーをし、世界で戦える武器を増やすことができる戦術的な引き出しの多さや、欧州のトップリーグでも活躍し始めた日本人選手を指導できる技量が求められます。しかし、当時のプロジェクトを取り巻く環境は非常に厳しいものがあります。まず、2月というタイミングは、欧州主要リーグではシーズンの後半戦が始まって間もないタイミングであり、そこから監督を引き抜くことは至難です。必然的に監督選びは現在フリーである人物に絞られます。

さらに、日本のFIFAランキングは当時55位と低く、その代表監督に就くことは、監督としてのキャリアの後退と受け取られかねません。さらには、中東各国のオイルマネーにより、監督のサラリーは高騰しており、そうした競合の存在も無視できません。さらに、通常はW杯終了後4年間でチームをつくり本選に挑むことが多いなか、既に1年が過ぎ、途中で監督のバトンを受け継がなければいけないというハードルもありました。 W杯二次予選はわずか4カ月後に迫っている・・・。こうしてみると、いかに霜田氏の置かれた状況が難しいものであったかがわかります。

予算となる監督の年俸は後に2億6,400万円であったことが判明しますが、これは諸外国と比べ圧倒的優位というわけではありません。しかも、サッカー界のステータスもそれほど高くない日本の代表監督を務めてもらうには、協会側の手厚いサポートのプレゼンテーションに加え、霜田氏個人の熱意などが求められたことでしょう。

霜田氏は、 2015年2月8日にヨーロッパに向けて出国し、21日に帰国する中で、ハリルホジッチ監督など数名の監督候補と会い、15年3月にハリルホジッチ監督と契約するに致ります。

ハリルホジッチ監督は、アルジェリア代表を14年ブラジルW杯に出場させ、さらにベスト16に進出し、優勝国となったドイツ代表をアディショナルタイムまでもつれこむ接戦を演じた采配から注目を集めていました。また、選手時代にフランスリーグで二度得点王になるなど、個人としての経歴も輝かしいものがありました。JFAの望む条件に限りなくマッチした監督を招聘できたことで、このプロジェクトは終了しますが、既にこの時点で4年後の解任につながる問題点を孕んでいたことが見て取れます。

次ページ 「「こうあらねばならない」という固定概念に囚われていないか?」へ続く

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