【座談会】今、世の中がラジオの方を向いている! 全ラジオ・広告業界関係者が知っておくべき現況とこれから 嶋浩一郎氏×吉田尚記氏×橋本吉史氏

「リスナー」との関係性の強さ

嶋:今現場にいて、ラジオが成長産業に変わってきている予兆はありますか?

吉田:ここ数年優勢を極めているユーチューバーは、自分たちを見てくれている人のことを「リスナー」って呼ぶんですよ。ウォッチャーではなく、リスナー。

吉田尚記氏

嶋:見られているのにね、なんでだろう。興味深い話ですね。

吉田:歴史的にみると、ねとらじ(ネットラジオサイト)からユーチューバーに文化が移ったからという説がひとつ。もうひとつは、ウォッチャーと言うと距離ができてしまうんですね。“観察者”になってしまうんです。一方でリスナーは観察者ではない、身内の感じがある。距離感のつくり方は、ラジオが正解だということがここで証明されています。

嶋:確かに、リスナーって言葉は身近な感じがするよね。ユーチューバー、そこを意識してリスナーって言ってるのかな?

吉田:どうでしょう。とにかく、テレビが出た時に「ラジオは10年後にはなくなっている」と言われたんですけど、60年言われ続けているんですよ。

嶋:打たれ強いね(笑)。でも、テレビとは違う価値があるってことですよね。

吉田:技術が進歩すればかつての物はなくなると思われますけど、ラジオの場合は違う、別の物であると60年かけて証明されている。この距離感が持っている、人類不変の価値があるのだと。ユーチューバーはその距離感を用いたのでしょうね。

橋本:名前は暫定的に「ラジオ」となっているけど、もしかしたらその表現は変わるかもしれない。受け手と送り手の距離の話だけで言うと、ラジオに限らずYouTubeにおいても正攻法だったと。

嶋:本当にそうだね。ラジオのしゃべり手とリスナーの関係性の、パーソナルな感じはすごいとずっと思っているわけですよ。中島みゆきさんは番組の中で、午前4時台に自分で天気予報を読むんですね。すると「うわあ、この人俺と今一緒に起きている」と感じるし。生番組と生番組の間でパーソナリティ同士で「おつかれさま」みたいな会話していたりすると、「今、この瞬間スタジオでの引継ぎを俺は目撃している!」なんて思っちゃう。これはなんなんですかね。

吉田:自分が持っている曲でも、ラジオでかかると嬉しくて聴いちゃうじゃないですか。それって、ディレクターかパーソナリティがその曲を選んだんだという嬉しさ。 同時に、自分以外の人たちも今これを聴いていると無意識に感じられるんですよね。これを考えていくと、たぶん人間は放っておくと寂しいものなんですよ。人間は群れ生物なので、一人だと「そのうち死んじゃうよ、今すぐじゃないかもしれないけど」というアラートが鳴る。それが“寂しい”という感情なんじゃないかと思うんですけどね。

嶋:なるほど、確かに。深夜になるほどそれが増幅していきますね。だから深夜4時の天気予報が大事なんだ。

橋本:つながっている感じ、共有、共感がラジオは大きなキーワードだと思います。

吉田:実際、地震が起きたとしてラジオを聴いていれば状況がわかる。寂しさというアラートが消える装置がラジオなんですよ。だから生放送にすごく価値がある。その時、その状態で、他の誰かも一緒にいるよと。人間の一番はじめの感情に根づいているから、100%ラジオがなくなることはないと確信しています。

嶋:生放送、最高ですよね。生放送に対するこだわりはありますか?

橋本吉史氏

橋本:あります。ただ難しいのは、テレビにも生放送があり、同報性があるんですよ。ラジオは人数を経ている感じが少ないから、よりダイレクトに届いている感じがあるのかな。先ほどの“中島みゆきが天気予報を読む”というのもそうですが、なぜアナウンサーではなく本人が読む必要があるのかと。それって、その人が言うから意味がある、からなんですね。

『英国王のスピーチ』という映画があって、すごくラジオに近いと思うんですね。あれはしゃべりがすごく下手な王様が、しゃべりのプロに教わってうまくなっていくという話で、つまりプロがしゃべった方がうまいんだけど、王様がしゃべらないと意味がないんだよと。これが作り手とパーソナリティの関係性にとても似ているんです。俺たちはつくっているから取材もしているし内容も全部わかっている。でも君が言わないとリスナーには伝わらないし聞かれないんだよと。

以前、僕が長く携わっている宇多丸さんの生放送で、忌野清志郎さんの訃報が入ってきた時があったんです。早く伝えるのであれば、ニュース担当がそのまま読めばいい。宇多丸さんは清志郎さんと親交があったからショックを受けるだろうし。でも、たぶん今番組を聴いている人は、清志郎さんの訃報について宇多丸さんの口から聞きたいんじゃないかと、その時スタジオで思いまして。実際、宇多丸さんはショックを受けて、「これ俺が読むのか、ちくしょう」とポロッと言ってからニュースを読んだんですよ。それは音源出ちゃってるんですけど、その瞬間にその思いがのることがとても大事だった。これを聞いた人は、たぶん何かを受け取った。それは他の人が読むのではだめだし、録音でもだめだし、その瞬間、共有した瞬間に生まれるものだと。ラジオにおいて、生放送は王道だろうなと思います。

嶋:TBSラジオは生放送の比率を増やしている?

橋本:増やしてますよね、ほとんど生と思ってもらっていいです。深夜3時ぐらいの生放送も復活して。単純に録音よりラクということもありますけど(笑)。編集や搬入がいらず出しちゃったら終わりですから、働き方改革的にも作り手はラクです。しゃべる方は大変でしょうけれど。

吉田:いや、しゃべり手としても、生放送のほうが「やったれ」感があっていいです。録音だと責任が自分ではないところに行くから。生放送なら「こんなこと言ってしまった」の責任を自分が取ればいいわけだから。自分の裁量で言っていいからねということを含めて、生放送の方が心地よく感じます。

橋本:一丸となる感じですよね。走り出した何かを止められない装置みたいなものが動いているじゃないですか。

吉田:ありますね。チーム感が。

嶋:それにリスナーも一緒になっている。生放送というラジオの魔力ですよね。そこが。

橋本・吉田:そうそう、まさにそう!

橋本:おまえらメール送ってこないともうコンテンツないよ、みたいな。

吉田:生放送は炒め物とかつくっている感じですよね。完パケだと模型つくっているみたいな感じだけど。

橋本:やり直したりもしたくなっちゃうし。

吉田:ラジオ局に一番多い問い合わせのひとつが、「この放送は生なんですか」というものなんです。それで生だとわかると100%喜ぶんです。対して、録音だと答えると100%ガッカリするんですよ。それでさっきの“人間は寂しい”に戻るんですけど、寂しがらせないためにラジオはあるんですよ。だからラジオでは、うわっつらでしゃべるのは絶対にだめ。「本音でしゃべっていない人」が目の前にいると、超寂しいから。本当の腹づもりでしゃべる人じゃないと、放送にのると逆にマイナスになるんですよね。

嶋:そんなふうに人を惹き付けるラジオにのっかるCMは魅力的なものになるはずですよね。

次ページ 「新しいボイスメディアで問われるラジオの属人性」へ続く

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