CMは属人性を排除した恐るべき「企画」
吉田:そして、その属人性をすべて排除したコンテンツというのが、CMなんですよ。“属人性を排除したコンテンツのおもしろさ大会”と考えると、ACC賞にはすごい価値がある。
嶋:おお、なるほど。僕はラジオのしゃべり手との距離感がラジオの力だと思っているんですが、ラジオ局でしゃべっている人から見るとCMはその属人性をいったん取り払った企画だって感じるんですね。
橋本:属人性を排除することを言い換えると、「企画」ということだと思うんですよね。作り手が主役になる。僕は吉田さんと違って裏方の立場なので、審査でさまざまなCMを聴いていると「くやしい」んですよ。こういう演出方法がまだ音声に残っていたのかとか、こういう風にしゃべらせればいいのか、とか。いわゆるラジオ番組の作り手とは違うジャンルの人たちが、ラジオ的手法についてすごく真剣に考えているということがCMなんだなと。本当にCMに属人性はいらないのか?逆にラジオにとって属人性はどれほど必須なのか?作り手やしゃべり手の信念がどこまでCMに出ていいのか?と、考えさせられました。
嶋:金鳥のCM(注1)はシリーズもので、ずっと聴いているとあの女子中学生と男子中学生という属人的なことになる。ひとつのコンテンツになっているわけじゃないですか。
吉田:はじめは属人性はなかったと思うんです。ドラマ性だけだった。それがいつの間にか、僕らは金鳥少年に思い入れるようになって。
橋本:あれはもう番組ですよね。
嶋:番組化すると属人的な関係がリスナーとも築ける。普段CMは、打ち合わせなんかの裏で流れている感じでしょう?昨年初めてCMを審査していただいて、いかがでしたか。
吉田:局内でずっとラジオを聴いているので、全然他人事ではないです。自分の番組で流れているCMこそ知らない、というのはありますけれど。
嶋:審査で集中して聴いてみて、どうでしたか。CMに対してイメージが変わったりしました?
吉田:局の商売で流すものより、お金をわざわざ払っていただいているCMの方がおもしろい場合、むしろこちらが払わせていただいた方がいいのではと思うくらい。
ちょっとまた別の話になっちゃうんですけど、今ラジオが伸びていないひとつの原因に、チャンネル量が少なすぎることがあるのではと。プロ/素人に関わらず、いろいろな人がみんなしゃべる時代がくればいいのではと思うんです。Voicyのようなサービスが大々的にあったらどうかと思っていて、例えばACCでおもしろいとされて受賞したCMは、自由にそこで使っていいとか。「俺は金鳥のCMが大好きだから、間にいっぱい入れよう」みたいな。
嶋:拡散するコンテンツとしてCMが使われるイメージですね。
吉田:はじめからそこ前提でつくる、という流れになってもいいのでは。
橋本:おもしろいCMに評価が集まるような仕組みがあれば、当然みんなクオリティを上げるでしょうからね。売るためにどんなCMにしようかと考えて、言いたいことを詰めすぎてしまうってあるじゃないですか。でも、おもしろくないと売れないんですよと、いうことですよね。
嶋:これはね、さっき話していた“生放送のみんなでのっていく感覚”を知らない人、要するにラジオを聴いていない人がつくると、全部状況説明とか書いちゃったりね。出稿するクライアントさんもラジオを聴いていない人も多いのが現状。そうすると、余白を入れて聴き手の想像力に託すことにトライできないんですよね。ラジオの生のよさ、リスナーとの距離感みたいなことが、もっとCMの作り手に知れていったら、もっともっといい内容になっていくんじゃないかと思っていて。
橋本:でも、すでにもうクオリティの高いCMがたくさんあって、審査では刺激を受けましたよ。
嶋:それはありがたいですね。