モーゼスのマスタービルダーとしての「美しい」理想都市
当時のアメリカでは、歴史的に大都市へ流入してきた人たちが古い建築物のある地域に密集して居住し、貧困や不衛生な環境、治安への悪化をもたらすと考えられていました。そこで当初の都市計画では、そのような地区を一掃し、新しい都市計画によって区画を整理し、高速道路によって住宅地域とオフィスを理想的にゾーニングすることが計画されていました。モーゼスらの論理的根拠は、フランスの近代建築家のル・コルビジェの「輝く都市」という田園都市構想で、効率の良い同型の「美しい」高層建築物が並んだ、都市機能を明確に分断化したものでした。
彼らの眼には、古い建物に人々が密集し、また通りに人があふれている状況は、住居や生活、労働、余暇などのそれぞれの機能的な目的が非効率に混じりあっていて、本来的な都市機能を阻んでいると見えたのです。モーゼスにとってはそのような地域は混沌そのものであったために、一度きれいにして、もう一度建て直す必要があったのでしょう。
彼が根拠とするものは、当時自動車という最新テクノロジーによるモータリゼーションで、市民が車に乗って短時間で移動することが出来るようになれば、労働のためのオフィスと、生活のための住宅は近くである必要がないからこそ分けられるべきで、そのためには都市と住宅を結ぶ高速道路が不可欠だと考えたのです。
このような理想的な社会を目指した都市設計とテクノロジーによるデザインという考え方自体は、一見何ら間違っているようには思えません。むしろテクノロジーによるイノベーションを目指す21世紀の社会と何ら変わりがないようにも思えます。モーゼスの何が失敗したのでしょうか。