広告のクリエイティビティがおもしろく見えたらいい
八木:部門名に「ブランデッド」と書いてあるのがひとつの基準というか。この審査委員の顔ぶれは、「このクライアントでこういうことをカタチにしている」ということを、デザインの使い方、クラフトの使い方、デザインを機能として見てくれそうな気がするから、おもしろくなりそうだなと思ったんですよね。
中村:たしかに。
菅野:これね、アートディレクションとするべきなのか、デザインとするべきなのか、マジでわかんなくて。
上西:アートディレクションかもしれない、という気がしてきました。
菅野:ヤバい、間違った?
上西:いや、わかんない。
菅野:わかんないんだよ。
イム:でも幅を広くしておくならアートディレクションかなあ。
菅野:間違えたか。
上西:私の中でも、これはグラフィックデザイナーとしてやっているなという仕事と、これはアートディレクター寄りだなという仕事があるんです。完全には割り切れないんだけど、割合がどちらかに大きくなる時があって。これをACCの「ブランデッド・コミュニケーション部門」で評価するとなった時は、キャンペーンとか企業とか、そういう視点で選ぶべきなのかな。TDCで審査をした時は、完全に個人のポスターがたくさんある中で、タイポグラフィーや色や形がどうかという視点に立ってみるとやっぱり職人性が高いなと思ったんです。JAGDAやADCは、そこから少し離れて選んでいるのだろうと思うんですけど、この部門はさらにもっと違うんだろうな。
最低限、これはクラフトとしてどうかと思うから票は入れないというのはありそうだけど、そこよりはもう少し全体のキャンペーンの仕立てとしてとか、クライアントの商品に対してどうか、ということで選んだ方がいいのかなと。個人というよりは、商品や会社を含めてその仕事が褒められる賞になるのかな、と思いました。
賞ってやっぱりステップアップのきっかけだから、褒められてチャンスをもらうのはいいことだと思う反面、誰が何をやっていたのかわからないまま賞歴だけ、というのもあるよなと。結構難しいなと思います。
菅野:そういう意味でここがほかの賞と違うのは、「人を褒める」というより「作品を褒める」ので、「少なくともプロジェクトはよかった」「誰がどう貢献したかは、あとから内部で話し合ってくれ」という感じはちょっとあるかもね。
小杉:当たり前ですが「時代の広告デザイン」というんですかね。今の時代のシズル、今の広告主のもつシズルをどうつくり上げるかという。そういう視点で見ると、より新しい視点がそこにあって、それに対してこの表現が今の時代に合っているのか、シズルとして世の中にちゃんとフィットしているのか、ということ。とすると、クラフトのみにピントを合わすのではなく、世の中全体、また“時間軸”をも俯瞰して評価するということではないのかなと感じています。
菅野:そうですね。
八木:でもダサいのは選びたくないしな。小さい会社だろうが大きい会社だろうが、予算が多かろうが少なかろうが、ブランドがこういうことを発言するという時に、それに対してどういうアプローチ、アート&クラフトを使っているか。そのブランドに「ふさわしくて、美しい。」という点で評価したい。全体としては評価されているものでも、上西や小杉君や僕あたりが「いいけど、これはダサいのでは…」とか言うんですかね(笑)。
上西:デザインとしては評価できない、デザイン部門でこれは出せない、とか。
菅野:必ず誰かが文句を言って、どれも上がらないという部門になるかもしれないですね。
上西:グランプリなし、とか。
菅野:かつてのANAの「ニューヨークへ、行こう。」は、あの9.11の直後のタイミングの新聞広告で、こういうコピーでやった、という社会的な文脈での評価もあったんだけど、ちゃんとデザインとしても見事な機能を果たしているんですね。だからこの部門のこのカテゴリーにそういうのがあったら褒めたい、というイメージです。だから、企画はいいけどデザインとしては別に、というものをここで褒める必要はないと思うんですよ。もちろん、広告と呼んでいる以上は社会性を伴って、どう社会に流通し、どう社会と関わったのかということは、必ず何パーセントかないとはブレる。自社に貼ったというだけじゃ、効果はないはずなので。そこのバランスについてはたくさん議論の必要があるかなと。
小杉:以前、大貫卓也さんが作品集を出版された時にトークショーをされていて、作品単体で見てほしくないっておっしゃっていました。その時代に周りにどんな広告があったか、今は普通なことになっていることも当時はどんだけ新しいアイデアだったか、という部分は作品集だけでは絶対に伝わらないから、と。時代背景を全部みせて、これがいかに狙ったキャンペーンだったか。というお話に至極納得したのを憶えています。
菅野:その時期に生きていないと無理だね(笑)。
一同:笑
中村:よくばりな(笑)。
八木:こんないいことをやっているけど、出せるカテゴリーがなくて、仕方なく合わせて出すと、アウトプットの一部分でしかない時があって。「このクラフトすごい」という断片的なものではなくて、大貫さんのこういう文脈、こういう背景があって、だからこういう狙いで、「そのクラフトはこれです」というのでは全然変わると思うんですよね。
菅野:海外賞とは違って、僕ら審査委員の多くはこの日本に生きているので、この広告にあたったり、あたってないかの実感があって、「これが効いたか、効いていないか」というのもある程度は実感値をもって見ることができる。それはとてもいいことだと思っています。だから、ここでだけ褒められるものがあると思うんですよ。国内の広告ならでは、文脈もあるから。日本語がめっちゃ入っているものも、日本のタレントが活躍するのも、やっぱりカンヌでは褒めづらいし。
八木:JAGDAやADCでは広義のデザインを褒めにくいような気がします。ADCではサブカテゴリーで分かれているので、「ジェネラルグラフィック」「新聞」「ポスター」が別々に評価されて後々合体して賞を与える。みたいになっていて、それはそれで深く質を見ていくのに良い面もあるけど、ひとつのプロジェクトとして評価しにくかったんじゃないかな。だから解説映像にメリットを感じるんだけど、菅野さんが言うように日本人審査委員が見抜いちゃうから、日本のデザインのエキゾチックな評価は期待できず、日本人にとって一番ごまかし効かないかも。
上西:内容は分からないけど、アウトプットのデザインがいいから票を入れるというのは「やっぱりね」となりそう。それよりは、キャンペーンとして、背景を聞いたり解説動画を見て、意味がわかって評価できるとなれば、拾えるものが変わりそうだな。
中村:僕はやっぱり、広告のクリエイティビティというものがおもしろく見えたらいいなと。ちょっと漠然としていますが。なんかね、美大とかの学生と話していると、いろいろ環境が整っているし広告業界に行きたいという気はあるのだけど、「広告という枠にはまってしまうのではないか」と不安に思っている人が多いんです。そんなにこの業界が魅力的に見えていないんですね。型にはまった感じもあるし。かと言って、ライゾマティクスがやってるようなかっとんだやつもあるけど、そこまでは遠すぎて無理とかね。ただ、そういう幅を見せられるように、プレゼンテーションがラインナップにあったらいいなと。だから議事録と言ったのは、作品一つひとつがちょっとでも広がってフューチャーされたらなという意図があったんです。
デジタル系の学校とか、才能のある人がたくさんいると思うんですよ。でもみんな行き場のないクリエイティビティをもてあましている感がある。スゲーんだけど生活大変そう、みたいな。デジタル系のクリエイティビティは絶対に仕事を求められているんだけど、わりと想像される“出口になるスタイルの枠”が狭い。幅が広がるといいなと。
菅野:そうですよね。これによって新しい才能が発見されたらいいなと思っています。今までの感じだと、たぶん電通や博報堂とかで地味に、信頼されながら仕事をしていくんでしょうけどあんまり褒められない。そういう人の才能が発見されてフューチャーされたらいい。そういう生き方があるんだったら、私も広告の仕事をやってみたい、という人が出てきたらよりいいことですよね。