ブランドが顧客をどうみているかによって変わる物語
目的や筋とは別に、物語にはその形式に特徴があり、文学的な分類ではジャンル論と言われ、日本では坪内逍遥の『小説神髄(1885年)』によって、大きく「尋常の譚(よのつねのものがたり、小説、ノヴェル)」と「奇異譚(きいのものがたり、ローマンス)」と分類されています。一見このような文学の形式分類は物語ブランドには無関係のようですが、これも目的や結末と同様に、物語の連想と切り離せないものです。なぜなら物語の発展とは歴史的なものだからです。
ここではカナダの批評家、ノースロップフライの『批評の解剖(1957年)』のジャンル論を参考にしてみましょう。フライは物語の様式について、主人公の能力による5つの分類という視座を提供しています。
1.神話=主人公の能力が他の人間より卓越している「神」
2.ロマンス・伝説=主人公の能力が他の人間よりも優れている「英雄」
3.叙事詩・悲劇=主人公の能力は優れているが社会的な制約がある「優れた人間」
4.リアリズム=主人公は「普通の人間」
5.アイロニー=主人公は普通の人間よりも「劣った存在」
フライは歴史的に1から5まで、物語における主人公の能力が次第に下降することを指摘していますが、これは社会構造における物語の役割や経済的な消費とも連動しているでしょう。したがって物語ブランドの歴史とも無関係ではありません。
神話のような物語は、現代では必要がないと感じる人もいるかもしれません。ですが、物語の主人公は「人」だけとは限りません。例えば、今の時代に神話を信じる人はいないかもしれませんが、国家的な危機の際にGod Saves the Queen(イギリス国歌)やGod Bless Americaなどの歌が唱和されるのは、イギリスやアメリカという国民国家を主人公とする物語が必要とされているとも言えます。
ロマンスや伝説で描かれる「英雄」は、現実的な能力が優れている人間のためというよりは、どんな人でも純粋に自分の能力の無限の可能性を信じている時代、もしくは誰もが理想の未来を投影するような機会に必要とされます。その時は「子ども」だったり、「結婚」であり、ディズニーや雑誌のゼクシィがさまざまな形で繰り返し伝えている物語です。そこでは、普通の人というよりも、より優れた存在として自分の能力を捉えるからです。
たとえばディズニーランドに足を踏み入れれば、どんな人でも「子ども」の心に戻ることができ、そこでは現実の自分とは一切関係なく、魔法や夢を駆使した「王子さま」や「お姫さま」になることができます。そのような物語のなかに入ることがディズニーブランドの強さなのです。
そして人々が夢を描くのは結婚も同様です。雑誌ゼクシィの描く物語は、たとえ現代風にアレンジがされていようが「ロマンス」のようなハッピーエンドが語られます。人はそのような機会には、現実よりも理想的な世界を求めているからです。
この意味では、主人公の能力の設定とは、本当の意味での能力というより、ブランドにとって顧客や消費者がどのように捉えられているか、という態度を示していると言っていいでしょう。「Think Differentで世界を変える」ことを推奨するようなアップルのようなブランドは、明らかに顧客を「英雄」として表象しています。アップルを使う人々は、アインシュタインやピカソのように世界を変えていく役割を担った存在とみているといえます。