僕は渋谷のサイゼリヤで作家になった
実は、樋口さんと会うより前に新潮社の宮川直実さんという女性編集者から「会いませんか」とTwitterのDMをもらっていたんです。「これはエロいことが起きるかも」と、淡い期待を持ちつつ会ったら「小説を書きませんか」と言われたんです。びっくりしました。「小説なんて書いたことないんで」とお断りをしたんですが、「これ読んでおいてください」と、三浦しをんさんの小説『きみはポラリス』と中島らもさんの対談集を渡されて。「また会いましょう」と言われたまま、2年が過ぎていました。
そのことがずっと気にかかっていたので、cakesに第1話が載ったとき、宮川さんにメールしたんです。僕が何者でもないときに「小説を書かないか」と言ってくれた彼女はどう感じただろうと思って。宮川さんからの返事は「見るべきものがありましたね」。そのとき、「(連載が)全部うまく終わったら、宮川さんに任せたい」と思いました。
cakesでは思いつくまま衝動的に書いたので、新潮社で小説にするときは「ボクと彼女の恋愛」と「90年代の東京」を真ん中に置き、それより目立つものは削る形で構成を変えていきました。
宮川さんは少し厳しいところのある方なんですが、アドバイスをいただいた通りに修正していたら、「あなたは小説家なんですよ」とお叱りの言葉をいただいて。「そのまま変えたら60点、それを超えたら80点、まったく違うものが出てきたら100点なんです」と言われたんです。僕は20年間、クライアントに言われた通りに修正するのが当たり前の現場でやってきたので、そういう世界もあるのかと驚きました。
その言葉が腑に落ちたのは校了直前。3日間、宮川さんと渋谷のサイゼリヤにこもって作業をしていたのですが、「これが最後の本になるかも」と思うと譲れなくなり、「どうしてもこうしたい」と思えるところにすべて修正を入れていきました。人生の話って飲み屋で消費されるだけで、普通は小説になんてならない。だからこそ、これまでに僕が出会ったたくさんの人の人生を自分なりに紡ぎたかったんです。「俺が会った奴、面白いと思わない?」って伝えたくて。
自分が幸せだなと感じた部分は変えたくなかったし、「これがずっと続けばいいのに」っていう瞬間を閉じ込めたかった。それが何だよ、って言われたらそれまでだけど「こういう見方もあるのか、それなら俺の人生も捨てたもんじゃないかな」って誰かに思ってもらえるかもしれない。僕はそうやって何度も救われてきたので。そういうことが1回ぐらいできたらいいなって。
こうして2017年6月30日、小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が新潮社から出版されました。宮川さんは取材を受けたときに、「この人は最後に作家になった」と言ってくれて。あれは嬉しかったです。