聞き手:福里真一、野﨑賢一
『コピー年鑑2016』(東京コピーライターズ編/宣伝会議刊)では、”コピーの神さま”として樹木希林さんに表紙や誌面に登場いただきました。別冊「ふろく」では、審査委員長・年鑑の編集委員長を務めた福里真一さんと編集委員を務めた野﨑賢一さんが樹木さんにCMについてインタビューをしました。
このたびの樹木さんのご逝去に際し、追悼として当時のインタビューをこちらに掲載いたします。
—TCCという団体がありまして、日本中のコピーライターとCMプランナーが所属している団体で、新人賞をとると会員になれるんです。会費は払わないといけないんですけど…
樹木:いくらなの?
—年間6万円です。
樹木:年間6万円!?けっこうねえ〜。うちのお墓代だよ(笑)。高いな~。
—その団体で審査をして、優秀とされた広告を「コピー年鑑」という本にまとめておりまして、それに今回は登場していただくわけなんですが、樹木さんというと、まず広告には、出演する立場ですよね。
樹木:あなたさあ、私が役者続いてるのは、CMというものがあったからなのよ。
—はいはいはい(笑)。
樹木:いまから55年前に役者をはじめたとき、CMをやる役者なんて下の下だと。芝居が荒れるとか、ちゃんとした役者になれないとか言われて、その中で、全然舞台とか映画とかテレビとか興味がないから、「CMいいじゃないの」って言ったのが私の役者人生のはじまりだから。
—CMがいいと思った理由は何かあるんですか?
樹木:短い時間で、お金もらえて生活できるという(笑)。
なおかつ、それが人に与える影響がすごいんだなあと思ったのが、一番最初に出たCMが、お醤油のCMだったのね。ローカルのね、東海地方の。で、それを私が「こういうの今度やるんだ」って言ったら、こないだ死んだ長田弘っていう詩人が「だったらさあ、おしょうゆはサンビシ醤油、しょうゆうこと。ってどう?」て言って。なんてつまんない!って私は思ったのね。
でもどうせさ、その頃のCMだからどうってことない「お醤油はサンビシ醤油」ってだけのコピーだったと思うの。だから「しょうゆうこと」って言ってみたのよ。それが流れたら、その年の『サンデー毎日』のワーストCMランキングの3位に入ったの。そのときに「あんなローカルで誰も見てないと思ったのに、ちゃんと人が反応するんだ」。それで、へぇ~っと思ったのがCMを面白いと思ったきっかけね。
—樹木さんの資質にも、CMは合ってますよね。短い秒数でサッと鋭いセリフを言うという…。
樹木:そうねえ、CMの世界は、私のタチには合ってましたねえ。だからCMというものがその後だんだん力を発揮して確立して、今はCMをやらせてもらうことが役者のステータスみたいになってきてるから、へぇ~って思うんだけど。そうやって時代が変わっても、じゃあそれに、どう乗っかってくかはいつも考えないのね。時代の風は考えないの、なるべく。だってあのとき、先輩の女優さんに呼ばれて、「あんたね、CMなんてやったらダメになるわよ」って言われたときから、「いや、いいんですよ私は」って言ってきてるから。時代の波とか流れに影響されてくつもりはないわけ。そうやってきて、55年たってもこうしてまだ生かしてもらってるっていうのは、これはまた、上出来、上出来、の人生じゃない?
—「CM皇太后」とまで言われてますもんね。
樹木:それ自分で言ってるだけなの。「CMの女王」って誰かが言ったから、いや、女王じゃないよ、皇太后って。女王って、恥ずかしいから。よく考えたら、皇太后の方が偉いんだけど(笑)。
—2016年TCC賞を受賞している宝島社の新聞広告にも出演されてますけど、この仕事はどんなお気持ちで受けられたんですか?
樹木:ミレーのオフィーリアをあなたでやりたいって言うからさ、いいですよーって。パロディだと思って軽く引き受けたんだけど、顔だけ合成だと思ってたら、水に入るって言われて、びっくりしたよ(笑)。だからこれ、セットで全部作ってあったの、水もぬるい水でね。それだけのことをやったから、画に力があるのかもしれませんよね。なんか無駄なようだったけど(笑)。
—コピーについては?
樹木:現場でコピーもらって、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。私じゃないな、とは思いましたね。なぜなら私、普段も好きにするから(笑)。でも、まあいいか、役だから、とね。
—死についてのメッセージじゃないですか。その辺は、役者さんによっては出たくないという人もいると思うんですけど。
樹木:そこなのよ、私の醍醐味は。私自身は、役者自体は無色透明が一番いいと思ってるのね。本当は自分の私生活を出すのは役を演じる人間としてはあんまりよくないんだけど、日本の場合、いろいろ私の周りも自分も事件を起こすから、隠しておけないの(笑)。
高倉健さんみたいな人そういないんだから。それならば、もう全部いいじゃないか、と。私の現実もひっくるめて、外へ出ていって、見てもらっちゃう。私が癌を発症したとか、医者に「あんた全身癌ですよ」って言われたとか、それがあってのこの広告だと思うのよ。そういうのも引っくるめて見てもらっちゃうというのが、現代を生きている役者…役者というよりむしろ芸能者(げいのうもの)という感じだよね。
—芸能者…。
樹木:芸能ごとをやる人間ていうのは、やっぱり時代にさらされて、評価も足蹴も含めて、そこから生き残ってナンボのものっていう感覚でいるのよね。だから表に出てナンボのものだろうって。
—最後に、今回、コピー年鑑では、“コピーの神様”の役を演じていただいたんですけど、樹木さんから見ていいコピーとは? あるいは、いい広告とは?
樹木:特にはないけど…。
—無理やり考えると(笑)?
樹木:やっぱり、商品というものを考えるとね、本物だからって世の中に広まるわけじゃないのよ。偽物のほうが広まりやすいのよ。偽っていう字は人の為って書く。人の為だと思って一生懸命作るんだけど、その裏側に、薬害だったり、いろいろなことがある。だからそんなに、本物ばっかりが世の中にあるわけじゃないんだと思うと、それを売らなきゃなんない広告の仕事というのは、ある意味で責任があると思うの。かといって、そこばっかりを考えると面白くない。
商品のダメさをちゃんと作り手がわかってて、でもその中のいい部分はここだよというところを見つけて、そして遊んでもらいたいという風に思うのね。だって人間は絶対そうじゃない。舛添さん(舛添要一都知事・当時)のことだってさ(笑)、みんなあの程度のことはやってる。あれにくっついていい汁吸ってる周りの人もいっぱいいるわけで、それが人間の姿だよ。
それをこっち側に立って文句言うばっかりじゃ、本物には出会えないと思う。舛添さんの持ってるあの資質を自分も持っていると考えて、そこに情を通じる。作り手は、そこの部分だけはちゃんと押さえて、その上で、面白いものを、面白いものをって。そこいらへんが広告の一番大事なポイントになるかなあ、と思ってるんですけど。
えー、神様としてはいい加減なこと言いまして(笑)。
—ありがとうございました。