【前回コラム】「自分らしさが決められないアラサーの私たちには、「迷子案内ビジネス」が効く」はこちら
私がデスクワークの多いIT企業に勤めているからかもしれないが、もはや現代人にとって「ジム通い」はインフラだ。周りで通ったことがない人を見たことがない。
みんな、口癖のように「ジム行かなきゃ」と言うし、行ったその日にはInstagramのStoriesに写真をあげる。添えられているのは「#workout」の文字だ。
年をとるごとに変わっていく「ジムに行く理由」
しかし、26歳になってふと思うのは、ジムに通う理由の多様化と、年齢による理由の変遷である。
学生の時、ジムに通っているのは鍛えている運動部の友人ばかりだった。ジムに通う目的は完全に「鍛えること」で、それは部活に必要な身体にするためだった。
社会人になると、何人かの友人が「運動不足だから」「お酒を日々飲むようになって太ったから」ジムに通いだした。その目的の多くは「減量」で、私もその一人である。社会人になってすぐは、「これ以上太るとまずい!」という気持ちで、ジムに通っていた。
新卒二年目に差し掛かった頃、複数の友人たちが仕事で悩んでメンタルに支障をきたしはじめた。そうすると彼女たちはまた「ジム」に通い始めたのだ。その目的は「リフレッシュ」。身体を動かしたり、汗をかいたりすることが、気分をさっぱりさせて、モヤモヤとした頭の中の霧を晴らしてくれるのだという。
メンタルダウンから復活し、美容にお金をかけるようになり、強くなった女の子たちは、ストイックになり、InstagramやTwitterでジム通いをアップロードするようになる。彼女たちの一部にとってワークアウトは「発信欲」と成果を出すことによる「自己肯定感」を満たすためのネタなのかもしれない。
そのうち何人かが結婚して、いつのまにかママになった。すると彼女たちは「産後ヨガ」でママコミュニティをつくった。習い事になったワークアウトの機能は「コミュニティ」である。
慢性的に運動不足な我々は、クラスタの大小はあれど、「身体を動かしたい」「健康になりたい」という欲望をベースに、生活における「ジム通い」の機能は変化させ続けているのがわかる。
私たちは大人になってからというもの、ずっと「運動」を手段として、達成できるものを探しているのだ。