シェアの原体験は「はてなダイアリー」だった
現代はアダムⅠが猛威を振るっている時代であり、アダムⅡの価値を見直さなければならないとデイヴィッド・ブルックスは主張しています。
しかしながら、実はインターネットカルチャーにおいて、アダムⅡ的なものはつねに重要であり続けてきました。
そのような事例として思い出すのが、僕自身が大学生の頃に最も盛んに使っていたブログサービスでした。当時はみんなスマホで撮った写真をシェアするというよりも、ラップトップに向き合ってキーボードを叩いてブログを書いていたのです。まさに「誰もが情報の発信者になれる」というWeb2.0の理念が語られていた時期で、そのころ、最も敬愛していたウェブサービスこそがはてなダイアリーです。つい近頃、2019年春をめどに終了し後発のブログサービス「はてなブログ」と統合されると発表されましたが、僕にとってはひとつの歴史の章が終わるような感慨があります。
はてなブログでは、有名なブロガーの記事も好きでしたが、匿名ダイアリーにこころ動かされることも多かったように思います。どこの誰なのかは分からないが、そうした「名もなき人々」の文章に心を動かされたり、ハッと驚くような発見をしたり……。そんな何かがと出会えるような期待値の高さがありました。それは、そうした機運を盛り上げるための書き手と読み手の間のコミュニティが機能していたことも関係しているでしょう。
もちろん匿名であることは必須の要件ではありません。そうではなく、みんなで知見をシェアしようというコミュニティ感がとても好きでした。それに、表現方法は文章でも写真でも動画でもなんでもOK。その違いに意味はありません。
あくまでも発信物のその先にあるその人の生き様や意思に触れたときのつながりの感覚こそが、ソーシャルでつながりあうことの最も重要な意義であると感じました。そしてこのような体験こそが、私たちにオンライン上でのアダムⅡ的なあり方について気付きを与えてくれるのです。また、何か得をするわけでもないのに、世界中の人々が自分の知恵をシェアしてWikipediaのような仕組みが成立することも、そのような例証であると考えます。