レッドブル・エアレースが根付くまで10年、特殊スポーツをカテゴリーごと育てる意義

プロ中のプロになるまで

レッドブル・エアレースを日本で開催する話は2007年ごろから度々話に出ていたが、正直不可能に近いと当時は思っていた。海外のレースを目の当たりにして、規模感、規制含めて、空、海、地上でのすべての許可が取れるのか、行政が許すのか、スポンサーがついてくれるのかなど気が遠くなるような感じだったが、実際に2015年から実現できたことは本当に全ての偶然が重なったからだと思っている。

ただ、国内で実現しなかったとしても、室屋さんをこのレースに参戦させるための努力は、本人もだがブランド側も相当な覚悟を持って遂行した。

2008年にレースの枠が広がるとのことで、ルーキーパイロット用のキャンプが10ヶ月間あったが、室屋さんはそれに参加する機会を得て集中した訓練を受けて遂にライセンス権利を得て参戦できるまでになった。この訓練を受けるまでは、本人曰く当時のレベルは野球でいったら、社会人リーグの選手とメジャーリーガーくらいだと思ったそうだ。

さらにこのエアレースというレースに出れることすら全く予期していなかったが、ついに2009年から参戦し、途中数年中断もあったが、2016年に日本戦で優勝、2017年にワールチャンピオンになったことで、10年間の両者の努力の結果だと思っている。最初はフジテレビやJスポーツといった放映パートナーが積極的にこの競技とアスリート自身を伝え、徐々に興味があるメディアパートナーも増え、ここ数年はNHK等にも放映権をライセンスするまで成長した。

実際、2012年にブライトリングがスポンサーとして入るまで、殆どレッドブル一社がスポンサーとして彼をサポートしてきたが、その中で大事だったのはこの唯一のアスリートとカテゴリーが成長することを目指し地道にブレないで活動を続けてきたことだ。

一時はエアレースが中断して今後の開催がなくなるのではと感じた時期もあったり、東日本大震災が起きて室屋さんの本拠地の福島が復興できるのかと不安になったが、アスリートとの長期的な関係性と経営視点で考えて行動し、とにかく焦らずできることをやろうとなんども思い直した。

次ページ 「フィロソフィーを尊重する」へ続く

前のページ 次のページ
1 2 3 4 5
長田新子(一般社団法人渋谷未来デザイン 事務局次長兼プロジェクトデザイナー)
長田新子(一般社団法人渋谷未来デザイン 事務局次長兼プロジェクトデザイナー)

AT&T、ノキアにて、情報通信及び企業システム・サービスの営業、マーケティング及び広報責任者を経て、2007年にレッドブル・ジャパン入社。最初の3年間をコミュニケーション統括、2010年から7年半をマーケティング本部長として、日本におけるエナジードリンクのカテゴリー確立及びレッドブルブランドと製品を日本市場で浸透させるべく従事し、その後独立。現在は2018年4月に設立された一般社団法人渋谷未来デザインの事務局次長兼プロジェクトデザイナー。

長田新子(一般社団法人渋谷未来デザイン 事務局次長兼プロジェクトデザイナー)

AT&T、ノキアにて、情報通信及び企業システム・サービスの営業、マーケティング及び広報責任者を経て、2007年にレッドブル・ジャパン入社。最初の3年間をコミュニケーション統括、2010年から7年半をマーケティング本部長として、日本におけるエナジードリンクのカテゴリー確立及びレッドブルブランドと製品を日本市場で浸透させるべく従事し、その後独立。現在は2018年4月に設立された一般社団法人渋谷未来デザインの事務局次長兼プロジェクトデザイナー。

この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

このコラムを読んだ方におススメのコラム