アスリートの練習場に、あったもの
スポンサードしているアスリートのストーリーを、企業はどう表現するか。今回はそのことについて考えてみたい。
10代におけるサッカー国内競技人口は野球を上回っていると言われており、日本人のサッカー選手が海外でも活躍する時代であるが、ストリートで展開されるサッカーでも世界で活躍する日本人選手がいる。
その一つであるフリースタイルフットボールは、手以外の部位を使ったリフティングやドリブルなどの技術によってパフォーマンスを行い、単純な技の難易度だけでなく、オリジナリティやエンターテインメント性も大事な要素となっている。
レッドブルが主催するRed Bull Street Styleは、2008年のブラジル大会では横田陽介選手が準優勝、2012年のイタリア大会では徳田耕太郎(Tokura)選手がアジア人初優勝、2016年のイギリス大会でKo-suke選手が準優勝と日本人選手が過去の大会で好成績を記録している。つまり、日本はフリースタイルフットボールの強豪国として世界から高く評価されている。
さて、イタリア大会で優勝したTokura選手は、フリースタイルフットボール本に影響を受けてフリースタイルフットボールの道を選んだ一人である。彼との出会いは、2009年の横浜で開催されたレッドブルのフリースタイルフットボール国内決勝大会(Red Bull Street Style Japan Final)に、愛媛県から上京して参戦し、高校生の彼がいきなり優勝するといった衝撃的な出来事からだった。
当時の彼は、シャイでとても細くて、一体どこからこのような技が出てくるのかと疑問にも思ったくらいだ。日本チャンピオンになってから2年後の2012年には、国内大会を勝ち抜きイタリアで行われたRed Bull Street Style World Finalにて世界チャンピオンになり、その後メディア露出も増え、現在は競技のみならず様々なイベントなどにも招待されている。2018年はワールドカップがあったこともあり、イベントへの参加などかなり活躍したと聞いた。
Tokura選手の名前は知らなくとも、彼のパフォーマンスやこの競技の映像などをなんとなく見たり聞いたりしたことがある人は、相当数いるのではと思っている。例えば、日清カップヌードルのCM 「サムライ in ブラジル」に出演して華麗な技を披露し話題となった。
このようなストリート上で主に展開される競技では、練習場はコートのような固定的な場所がなく、公園から私有地まで様々な場所になるが、実際にボールを使って練習できる場所はとても限られてきている。都内の公園を見てもボール遊び禁止と書かれている場所は結構あり、なんともせちがらい世の中になっている。
さて、どんなアスリートにも競技への思いや背景があるが、一般的にはアスリートが競技以外で企業側に自分たちのルーツや気持ちを伝えてもらうことは非常に難しいと思っている。特に忙しいアスリートであればあるほど、一般的な会話で終わってしまいがちだ。
レッドブル時代に、アスリート同士の交流を担当者ができるだけ開催し、それに参加する機会もあったからこそ、ふとした瞬間で私の心に響いた話が多々ある。ただ、それも何回も会いお互いが信頼できそうだとなってから初めて心を開いてくれその思いを伝えてくれる。その一つが彼の地元の練習場の話であり、それがきっかけで地元や会社全体を巻き込み、プロモーションまで展開することができた。
Tokuraの出身は愛媛県大洲市であるが、そこは本当に自然に囲まれたのどかな場所で、友人とともにチームを作り練習してきた。都会とは異なりこれだけの土地があればどこででも練習できそうだが、それでも彼が選んだ練習場所は校庭でも、公園でもなく、自動販売機の光の前だった。Tokura曰く、ボールとの練習には明かりが必要、とにかく光が欲しかった、その時見つけたのが自動販売機の光だった。
ダンサーがビルのガラスを鏡に見立てて練習するように、彼は自動販売機の前で毎日練習をした。そして「しらたきの里」という設置場所であるお店の店主も彼をサポートした。だから彼にとっては自分のルーツはこの場所で、ここにある自動販売機が自分を見守り、サポートしてくれたんだと言っていた。
本人はふとした気持ちで伝え、特にこれが誰かに興味を持たれるとも思っていなかったと思うが、私にとってはこの話はすごく感動し、すぐさまこの自動販売機から始まった彼のストーリーを何かで表現したい、誰かにシェアしたいと思った。
そこですぐに思いついたのが、地元のヒーローが生まれたその場所に、世界で一台のラッピング自動販売機を作ることだった。どんな場所からでも世界チャンピオンが生まれるということを、地元の少年少女に対して“翼を授けるストーリー”を通じて街をもっと元気にできる、彼をサポートした店長さんに感謝の気持ちを伝えるべきだと感じた。
勿論当たり前だが、レッドブルのブランド発信にとってもこのようなチャンスを活かして、彼と一緒に広めることも視野に入れていた。