心に刺さるコンテンツが大きなビジネスを生む
思い立ったら即行動、営業チームにすぐに電話して、是非この企画を一緒に進めたいと伝えたが、最初は難しそうな雰囲気だった。このような小規模な案件で営業チームを動かすことはなかなかのハードルであったが、当時の担当者がアスリートへの理解とマーケティングチームとの連動をサポートしていてくれたおかけでかなりスムーズに進められそうな雰囲気になった。
当時レッドブルは、四国での展開率がまだ低く、特に自動販売機ビジネスにおいてはこれから強化していく段階であったことも功を奏しただけでなく、「翼を授ける」というレッドブルの理念や思いを知ってもらえるチャンスとこれまでにないアプローチ手法に可能性を感じてもらえ、自動販売機展開でのパートナーであるキリンビバレッジ社を説得しあれよあれよとこの企画が進み、本社のブランド担当者からも承認を得た。
企画が進むにつれ、営業サイドもレッドブルの世界観を知ってもらうこと、クリエイティブや芸術性の高さを知ってもらうことも相当念頭に入れていたので、自動販売機の写真や完成度に徹底的にこだわり、Tokura選手と徹底的に話し合い何度もやりとりを行いかなりの労力を使って実現に至った。この真剣な態度は、先方の現場担当者の心が動き、チームワークが生まれアスリート、レッドブル、キリンビバレッジの共同作品となった。
2013年末に計画が始まり、2014年7月18日に遂に世界に一つだけの自動販売機が完成した。その場には垂れ幕が張られ落成式を行ない、メディアや関係者、地元の小中学生、キリンビバレッジの関係者の方もわざわざ駆けつけ、愛媛県大洲市白滝の商店にあった一台の自販機がお披露目され全国的に注目されることになった。
多くの関係者を巻き込みながらも半年程度の期間でこの世界に一つだけの自動販売機が完成したことは本当に嬉しかった。そして当時彼はまだ22歳だった。
自分の考えたフレーズをこの自販機に入れて、この土地を訪れた人に伝えたいとの話になり、そこには世界で一つの手書きのメッセージが印刷されている。
“この場所で技を磨いて世界に行きました。この場所を忘れずにこれからも世界で戦います。”
実際一台のこだわりの自販機を展開した結果、四国における営業的な展開が大きく加速し、四国での自動販売機への導入がものすごいスピードで進んだ。最終的な取引は明確には言えないが数十倍まで跳ね上がり、売り上げも大きく倍増し確かその年の営業アワードももらっていたような気がする。
その後アスリートやイベント関係の自動販売機のラッピングはレッドブルとして公式な形で展開が始まり、グローバルからもブランドを訴求する手法としてかなり高い評価を受けた。自販機を媒体として伝えることでの価値が理解されたのだが、その後も世界で一台だけのアスリートラッピング自販機も、BMXライダー、スケートボーダーやボルダリング、エアレースなど展開したのだが、ここまで強いストーリー性と営業含む反響の大きさがあったのは彼が一番だと思っている。
こんなふとした会話から、きっかけが生まれ、それが形になる。常にすごいことをやらないといけないと思っている傾向もあるが、自動販売機はすでに存在し、ここにかかったコストは本当に最小限で、クリエイティビティと各担当者の努力と、最後はそれを伝える力だったと思っている。
ROIなどを意識することも大事だが「誰もやったことがない事」、「消費者に翼を授けられるか」を念頭に、心に刺さるコンテンツを作ることを突き詰めていけば、自然とストーリーは人から人に共有され、それが連鎖して大きなビジネスにも繋がっていくことを証明した。
どんな小さなストーリーも見逃さない。自分が感動したら人にも感動を与える。ふとしたことから、展開が起こり、それはお金では作れない価値がある。アスリートと一緒にきっかけを見つけ出し、新しいアイデアを実現できたからこそ、全てにおいて相乗効果を生んだ一つの事例である。
余談であるが、2009年に横浜であった際の彼らのチーム名は“TEAM LINGO(りんご)”だった。愛媛だったら誰しもミカンを連想するが、彼らは“りんご”というチームで出てきて、私は今だにそのチーム名がとてもツボにはまっていたので、先日あった時もなぜりんごなのかときいたら、覚えていることにびっくりしていた。
愛媛は常にみかんのイメージだから、あえてりんごにしたというシンプルな回答だったが、この話はあまり取り上げらえる機会はなかった。この愛媛にりんごが作られているかはわからないが、地元の特産物でないけど、愛媛にも世界に誇れる“りんご”が生まれたというストーリーも面白いなと思っている。
参考映像はこちら
長田新子
一般社団法人渋谷未来デザイン 事務局次長兼プロジェクトデザイナー
AT&T、ノキアにて、情報通信及び企業システム・サービスの営業、マーケティング及び広報責任者を経て、2007年にレッドブル・ジャパン入社。最初の3年間をコミュニケーション統括、2010年から7年半をマーケティング本部長として、日本におけるエナジードリンクのカテゴリー確立及びレッドブルブランドと製品を日本市場で浸透させるべく従事し、その後独立。現在は2018年4月に設立された一般社団法人渋谷未来デザインの事務局次長兼プロジェクトデザイナー。