陳暁夏代×坂井直樹 対談 ~中国のサービスを世界が真似る日が来るとは思わなかった~

左)陳暁夏代 氏、右)坂井直樹 氏
コンセプターの坂井直樹さんが、今起きている社会の変化の中でも、少し先の未来で「スタンダード」となり得そうな出来事、従来の慣習を覆すような新しい価値観を探る対談コラム。第3回目は、日本と中国、双方のカルチャーに寄り添ったブランディングや若年層マーケテイングを手がける陳暁夏代さんです。「祖父と孫ぐらいの年齢差」がある二人が、中国の飛び級制度、高齢出産、日本のビジネスマナーやメディアなど多岐にわたり語り合いました。

働き方を変えていかないと、優秀な若い子を採用できない

陳暁 夏代 氏

坂井:年齢差で言うと、僕らは祖父と孫ぐらい離れているよね。僕は第一次ベビーブーム世代。中学生のときクラスが15あって、1クラス50名いました。

陳暁:1学年で750人、多いですね。

坂井:10代の多感な時期に、黒人差別の撤廃を訴える公民権運動とか、ウーマン・リブとかが起こって、マイノリティが解放されるのを目の当たりにしてきた世代です。僕の場合は、19歳から23歳までアメリカで会社をつくってビジネスをしていたし、会社に勤めたこともないから、同世代の日本人とはちょっと思考の仕方が違うかもしれない。

陳暁:私も19歳から23歳のころが、自分の中でもっとも思考が飛躍した時期だと思います。私は生まれは中国で、親も中国人です。幼稚園、小学校と大阪にいて、親の都合なのでそこに自分の意思はありませんけれど。中学、高校、大学は中国で過ごしました。大学に入ってからはずっと働いていましたね。最初は政治家や芸能人の通訳や司会をしていました。

坂井:通訳って、両方の文化をわかっていないと、できないですよ、共感力がないとね。

陳暁:正確さはもちろんですが、それ以上に“ケア力”が問われますね。相手が気持ち良く会話できるように、ニュアンスを含めて橋渡しする姿勢が、VIPの通訳では大事かもしれないです。それが19歳、20歳のころで、その後はどうせ働くならスキルを付けたいと思って、いろんな事業の立ち上げに参加していました。

坂井:僕は去年、中国に何度も足を運んだし、中国人の親友も多いのだけど、いまだ中国人のマインドについてわかってないところがたくさんあります。

陳暁:マインドを理解するために、中国の最新トレンドを追いかける必要はないと思うんです、時代とともに淘汰されるものなので。むしろ、中国を外から見るか、中から見るかの問題ではないかと思います。

私は、日中両方のことが分かる立場で生きていて、中国に行くときは中国人として発言するし、日本にいるときは日本人として思考します。日本にない中国独特の思考というと、「“自己人”(ファミリー)」というのがありますね。例えば華僑なら、友達や家族じゃなくても、海外においてはファミリーだと思ったり、一度ファミリーだと思ったらいろんなルールを無視して優しくしたりそういった接し方があります。

坂井:夏代さんも海外に住む中国人だから、華僑だね。

陳暁:そうですね。海外で中華系の人に会うと打ち解けやすいですし、「お互い華僑だから一緒に商売しよう」という風にすぐなります。英語でいうと「バディ」に近い。例えば何か損をしても「“自己人”だからいいよ」と、圧倒的に保護の対象になる。そういう気持ちは中国人文化の中に根付いているかもしれないですね。

坂井: “自己人”なら、たとえ中国と政治的、軍事的に対立している国に住む人であっても、許しあえる?

陳暁:そうですね。私も含めですが、それはそれ、これはこれ、とセンシティブな問題に関しては思考をちゃんと整理できている人が多いように思います。

坂井:夏代さんみたいな視野の広い人たちこそが、いまある慣習について、例えば決まった時間にオフィスで仕事をする働き方だとかを変えていくんだと思うんだよね。

陳暁:畑を耕すという仕事ならもちろん時間も場所も限られるし、時間をかけないと成果が出ないけれど、仕事が多種多様になるにつれ勤務時間も一概に括れなくなりました。インターネット社会になってからは、それが加速して、固定概念や定義が崩壊してきているのをすごく感じます。今の働き方が「イケてない」と感じるのも社会の進化との不一致だと思うんですよ。実際、働き方を変えていかないと、優秀な子を採用できないです。

坂井:僕は企業に勤めた経験がないから、朝何時に出社するというのができなかったし、「なんでそれをみんな不思議に思わないんだろう?」って考えてしまう。で、そんなところから世の中のスタンダードが変わっていくのかなと思って、この対談シリーズをしています。

陳暁:不思議に思わない、考えないから、議論も起きない、というのは別に日本に限った話ではなく、世界中同じでしょうね。世の中がより良くなっていくために新しいアイデアを出すことに何かしら使命感とか義務感を感じている人が、時代とか概念を超えたところで生きていくのかなと思います。私が不思議に思っているのは、日本の学校に飛び級がないことです。

坂井:中国はあるよね?僕がいま一緒にビジネスをしている中国人の社長も15歳で大学に入ってた。

陳暁:最近私が会っている若手企業家はだいたい19とか20歳なんです。才能のある人は、その頃にはもう何かをしていて、大学に行く必要がないんですね。そうなると中等、高等教育の選択肢の中に自分のレベルに合う環境が見つからなければ彼らは学問の道に進む必要もなければ、海外に行く可能性が大きくなる。そうなると天才児はどんどん日本から出て行く。社会人どころか学生の段階から優秀な人材が流出しちゃうわけです。

今後の国を良くしようとするなら、教育システムを見直すべきだと思うんですよ。デジタルネイティブ世代の教育方針はたぶん、従来とは別にある。実際私も彼らと仕事をする機会も多いんですが、思考回路も違えば色々10倍速でできちゃうんですよね。

坂井:先日、15歳のエンジニアにTwitterで仕事を頼んだら「2Kください」って言われて、何のことかわからなくて。2000円のことだそうです。

陳暁:安いですね(笑)坂井さんは年齢に関係なく、優秀な子と接していますよね。やっぱり年齢より実力で人付き合いをしている人には自ずと実力者が年齢問わず集まってくるんだと思います。私が坂井さんをリスペクトする点は、そういった未来の若手と常にコンタクトを取っていることですね。私もそうなりたいですし、下の世代とたくさん会って、話を聞いて、彼らの才能がもっと早く開花できる踏み台を作りたい。どんどん一緒に仕事していかなきゃいけないと思っていて、うちの会社も採用は10代、20代がメインです。精神年齢が若い人は別ですけど。

坂井:今具体的にどんなビジネスをしていますか?

陳暁:日本で2つのビジネスをしていて、1社が対日系企業の中国進出向けのコンサル会社、これは個人事務所でやっています。もう1社はコンテンツスタジオでプロデューサーをしています。そっちは動画を軸にしたオリジナルコンテンツを開発して、そのメディアミックスやプラットフォームの多面展開を見ています。今こちらに主軸を置いています。

私自身小さい頃から音楽や映画に救われてきました。いいコンテンツは国を越えます。そういうものが散り積もってカルチャーができるし、ずっと残る。それに何か伝えたいことがあるときは、私一人が喉が枯れるほど声を出すより、コンテンツに落とし込んだ方がずっと広く遠く世の中にインフルエンスしますからね。

坂井:コンテンツのような、形を持たないソフトウエアのほうがハードウエアよりグローバルになりやすいし設備投資も少なくてすみますね。

陳暁:いつももどかしいのは、日本にいると「テレビが若者に見られない」のように、端末が主語がなっているんですが、中国では「このコンテンツが面白いかどうか」で話します。「テレビ離れと言ってもそれは番組が今の生活と内容も放映方法もマッチしてないからでしょ」と思うんです。逆に中国はここ数年技術の進化が激しいので、端末がころころ変わっているんですよね。だから自ずとコンテンツの評価になりやすい。私も主語はずっとコンテンツで語るようにしています。

坂井:実際中国ではどんなコンテンツがウケているの?

陳暁:80年代後半のバブル期の日本に近くて、今の中国はトレンド消費です、赤が流行ったら赤色になる。黄色が流行ったら黄色くなる。それをみんなが追いかけます。その先に行くのは感覚的にはあと5年ぐらいかかるかなと。

坂井:でもこの5年で中国はものすごく進化していますよね。残念ながらそれまで中国から新しいことを学ぼうと考えたことがなかったんだけれど、上海に行ってみたらデジタルマネーの普及にまず驚いたし、世界の未来を見ているような気がした。

陳暁:まさか世界が中国からいろんなサービスを真似る日が来るとは思わないですよね。実は中国人も思ってないですよ。中国の変化に一番ついていけていないのは中国に住んでる中国人なんです。私は、変化する中国を客観的に見て面白いと思ってますが、住んでいて不安を感じるという若い人たちの声も聞きます、便利になる反面、急激な変化の中にいる人は戸惑ってるわけです。

それでも中国の若者は、国のことを“考えながら”動いている人が日本より断然多いように感じます。実際に20代の同世代でも政治や経済の話も飲み会でナチュラルに出る。日本じゃないですよね。だから、中国と日本で言ったら、日本のこれからのほうが心配なんですよ。

続きは、書籍『好奇心とイノベーション』をご覧ください。

陳暁夏代(ちんしょう なつよ)
DIGDOG代表/CHOCOLATE執行役員

内モンゴル自治区出身、上海育ち。幼少期から日本と中国を行き来する。上海・復旦大学在学中からイベント司会・通訳を行い、その後上海にて日本向け就職活動イベントの立ち上げや日系企業の中国進出支援に携わる。2011年より北京・上海・シンガポールにてエンターテインメントイベントを企画運営。2013年東京の広告会社に勤務。2017年、DIGDOG llc.を立ち上げ、日本と中国双方における企業の課外解決を行い、エンターテインメント分野や若年層マーケティングを多く手がける。2019年よりコンテンツスタジオCHOCOLATE Inc.で、オリジナルコンテンツの開発やグローバル展開の仕組みづくりなどを担当している。

 

本コラムが書籍化されました。

『好奇心とイノベーション~常識を飛び超える人の考え方』

コンセプター坂井直樹の対談集。
―新しい働き方、新しい生き方、新しい産業の創造。激変する世界を逞しく乗り切るヒントがここにある。
 
<目次>
 
■対談1 松岡正剛(編集工学者)
会社からオフィスが消え、街から強盗が消える?

 
■対談2 猪子寿之(チームラボ代表)
脳を拡張するものに、人間の興味はシフトする

 
■対談3 陳暁夏代(DIGDOG代表)
中国のサービスを世界が真似る日が来るとは思わなかった

 
■対談4 成瀬勇輝(連続起業家)
お金が無くなったら生きていけない、と思っていないか?

 
■対談5 清水亮(ギリア代表)
人工知能を語る前に……そもそも人間の知能って何?

 
■対談6 山口有希子(パナソニック)
強い組織をつくるには?そろそろ真剣に「ダイバーシティ」と向き合おう

 
■対談7 中川政七(中川政七商店会長)
300年の老舗が見据える、ものづくりと事業のありかたとは?

 
■対談8 田中仁(ジンズホールディングス代表)
視界が開け、アイデアがわくようになったきっかけとは?

坂井直樹(コンセプター/ウォーターデザイン代表取締役)
坂井直樹(コンセプター/ウォーターデザイン代表取締役)

1947年京都生まれ。京都市立芸術大学デザイン学科入学後、渡米し、68年Tattoo Companyを設立。刺青プリントのTシャツを発売し大当たりする。73年、帰国後にウォータースタジオを設立。87年、日産「Be-1」の開発に携わり、レトロフューチャーブームを創出。88年オリンパス「O-Product」を発表、95年、MoMAの企画展に招待出品され、その後永久保存となる。04年、ウォーターデザイン(旧 ウォーターデザインスコープ)を設立。05年au design projectからコンセプトモデル2機種を発表。08年~13年慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス教授。著書に『デザインのたくらみ』『デザインの深読み』など。

坂井直樹(コンセプター/ウォーターデザイン代表取締役)

1947年京都生まれ。京都市立芸術大学デザイン学科入学後、渡米し、68年Tattoo Companyを設立。刺青プリントのTシャツを発売し大当たりする。73年、帰国後にウォータースタジオを設立。87年、日産「Be-1」の開発に携わり、レトロフューチャーブームを創出。88年オリンパス「O-Product」を発表、95年、MoMAの企画展に招待出品され、その後永久保存となる。04年、ウォーターデザイン(旧 ウォーターデザインスコープ)を設立。05年au design projectからコンセプトモデル2機種を発表。08年~13年慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス教授。著書に『デザインのたくらみ』『デザインの深読み』など。

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