「人間とは何か?」から、はじまる壮大な問い
マーケティングの世界において、デジタルですべてが計測可能になるにつれ、さらにマーケティング活動の実行に際して機械化が進む中、疑問として浮かび上がってくることがあります。それは「どこまでが人がやるべきこととして残って、どこまでが機械に置き換えられるか?」という問いであり、デジタル化の波は逆に言えば「何が人間がやるべきことなのか?」を問われる時代になっているということです。
このような問いは歴史的には珍しいことではなく、14世紀ごろのルネッサンスをはじめ、19世紀の産業革命期、20世紀の世界大戦後では、必ずこのような問いが生まれては新しい発展を遂げてきたからです。その意味ではこのようなテーマは、基底においては普遍的に変わらずいろいろな形で変奏されていくでしょう。
4月23日、24日に開催の「アドタイ・デイズ」のパネルディスカッションで、パルコの林直孝氏と「人の気持ちは測定できるのか」というテーマで話をするのですが、このテーマは上に述べたように壮大なだけでなく、自分にとっては昨年のアドテック東京において「人の心とtechnology」というテーマで議論した際の続編ともいえる話題で、今後も続いていくような予感を抱いています。このコラムでは今回のパネルディスカッションの前段として、感情のデジタル化について説明しておきたいと思います。
マーケティングにおける感情の再現性
マーケティングにおいて「人の気持ちは測定できるのか?」を考える意義は基本的に以下の3つの疑問に集約できると思います。
1. 人間の感情は客観的に測定できるか?
2. 人間の感情を客観的に把握し、その感情を生み出す要因を特定したうえで再現できるか?
3. 上記のことを人間以外の機械でも実行可能か?
似たような質問は、人間の知的能力について、つまり人工知能(AI)の開発において繰り返されてきました。人工知能の定義の中には、1番に関する知性の定義(「人間の知的能力を客観的に測定できるか?」)、2番目に関する知的能力の再現(「人間の知的能力を客観的に把握し、そのメカニズムを特定し再現できるか?」)が含まれています。ここ10年間で驚異的に飛躍したAIのパフォーマンスとは、2番目の再現、つまりは「人間のように考える」ことの領域です。
それは人間の脳を知的活動で生み出すアウトプットとしての答えに注目するのではなく、脳の仕組みとプロセス自体に注目することから発展したわけです。つまり人が人を教育するように答えを教え込むのではなく(いわゆる教師アリAI)、脳の神経細胞が活動している方法(ニューラルネットワーク)を取り入れて、教師ナシで機械自らが学習していく方法が、チューリングの時代には想像できなかったハイパワーの計算力を持ったコンピュータが安価で手に入るようになって可能になったわけです。
同様に、人の気持ちを測定するというのは、その結果として表出した人の反応だけでなく、そのプロセスを捉えることでもあります。つまり現在、マーケティングで可能な感情を客観的に把握するための方法は以下の3つになります
1.脳波を測定し脳の活動を捉えて反応を見ること。
2.人の顔の表情を捉えて感情を特定すること。
3.直接、対象者に感じていることを聞いてその内容を分析すること。
そしてこれらのすべての感情の「反応」の測定と合わせて、それらがどのようなインプット(画像や動画、テクストなどのクリエイティブやコンテンツという「刺激」)によって生まれ、どのようなアウトプット(感情の「反応」の結果起こした行動=クリックする、買うなど)を生んだかを分析をすることが「人の気持ちの測定」ということの意義であると言えます。
つまり、これらのデータをもとにAIに学習させることができれば、どのような感情を生み出すために、どのようなクリエイティブが効き、そしてその結果どのような好ましい行動を生み出すかを機械が学習し、再現することができるということです。