「Advertising Week Asia 2019」開催記念 広告界リレーコラム⑤

2004年に米国・NYでの開催に始まった「Advertising Week」。2016年には東京でアジア初となる「Advertising Week Asia」が開催された。2019年5月27日から30日には4回目となる東京での開催が予定されている。
日本の広告界を代表する210名のアドバイザーが参画をし、いま日本の広告界が議論するテーマを持ち寄り、企画される「Advertising Week Asia」。そのアドバイザリーボードのメンバーたちが今、日本の広告界が向き合う課題、そして希望についてリレー形式で語っていく。
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【執筆者】
Advertising Week Asia
Executive Director
吉井陽交 氏

電通をはじめとして広告業界において25年間の営業経験と10年間の経営サイドでの経験を持つ。FMCGおよびヘルスケア分野を得意とし、主に外資系クライアントに対して多くのブランド施策およびキャンペーンを実施してきた。また外資とのJVにも詳しい。昨年までは電通ワンダーマンのCEOを務めてきたが、WPPとの提携解消後電通に帰任、11月に電通を退社し、その後Advertising Week AsiaのExecutive DirectorとともにPotomac International Partners/Global advisorなども務める。

 

消費者を、そして社会を「熱狂」させるコンテンツの力とクリエイティブ

「Advertising Week」にようこそ、私は今年、事務局長を務める吉井陽交です。ほとんどの皆さんは経験していないと思いますが、私が広告業界に入った1983年は広告がキラ星のごとく世間の注目を集めていました。

糸井重里さんの「おいしい生活。」の広告を知っている人も、少なくなってきたかもしれません。アルベール・カミュをモチーフにしたサントリーのCMが私の広告業界入りを強く後押ししました。

それから20年あまり、外資系クライアントの営業を長く務めたのちに経営のことも知りたいと方向転換。グループ経営を担当する部門に異動して担当したのが当時黎明期にあたるネット広告のグループ企業。アド・エクスチェンジ、アド・マーケットプレイスなどの言葉に初めて接した時でした。それからさらに10年、気づけばデジタル・マーケティングをやりたいと、グローバルでもデジタルに長けたWundermanとの合弁会社のCEOに収まっていました。

さて、私の経歴はこのくらいにして本題ですね。
少し理解して欲しかったことは、ブランドにCR、レガシーメディア、さらにはデジタルの全ての洗礼を受けてきたということです。

消費者という言葉を私はあまり好まないので、ここでは全て「人は」に置き換えてお話しします。私が1983年にあこがれた広告とはシンプルです。
「人を感動させる」、これだけです。

もちろん、広告なのでどれだけ購買につながったか、さらにはその人の生涯価値をこちらから図るというなんとも不遜なことまでやってのけます。失礼ですね。

今の話とは、矛盾しているかもしれないですが、人を感動させてお金を取る。なかなか悩ましい広告業界の課題です。ここで、その是非を議論するものでもないので話を進めますと、広告業は人を感動させる何かを作って、それを人に届ける業務です。

「作る」と「届ける」一連の作業のように見えますが、なかなかそうはいかないのがこの業界です。とりわけデジタルやAIの登場などによって、この仕事の切り分けが難しくなっています。

まずは「作る」を見てみましょう。
人を動かすCR・コンテンツ。おそらくこれは熟練した、もしくはミシュランに登場するような料理人のようなものかも知れません。
人を感動させる料理は音楽に例えるほど複雑で繊細です。
最初の一口でアタックを感じるかもしれません、何かの序曲を感じるのかもしれません。

そして食べ進むとふくよかな香りと味わいに恍惚とした感覚を覚えるでしょう。全て食べてしまうことが名残惜しい最後の一口のあとに残るのは、長い余韻と記憶に刻まれる感動。

さて、この料理を食レポで食べたらどうなるでしょうか?
本日何回目の食事か忘れるほど全てに食傷気味のところに、ディレクターから要求される最初の一口のリアクション。何が美味しいか理解してなくてもとにかく「う、うまい!」。

特に本題を忘れてこんな話をしているワケではありません、念のため。

私は長年外資系クライアントを担当してきました。外資系といえばリサーチ大好きなのはご記憶にあると思います。もちろん本心から大好きなワケでもなくて、遠く離れた本国に「こんなことやりたいのですがOKですか?」とお伺いを立てる客観的理由が必要なのは言うまでもないですね。ただしそれがマニアックに変化していけば事情は少し異なります。

とあるグローバル企業を担当していたときにマーケティング担当に呼び出されて驚くものを見せられました。なんと会議室に置かれていたものは30秒CMを1秒ごとに分割したカラーコピーでした。

こともあろうに、それを全て調査にかけて1秒ごとにPros Consをまとめてありました。

エンドカットの5秒前は調査によると好意度が前の6秒前のカットよりも下がるのは何故か。調査によると編集違いの同じ位置のコマの方がもっと評価が高い、何故か。ならばこのコマとこのコマを差し替えればもっとスコアが上がるのではないか……。

CRというより言葉通りのパッチワークを真剣に要請されました。だってスコアを上げれば本国を説得できるんだもん!

いやはや料理人なら激怒ですよね、営業としては同時に2つのことを考えます。どうやってクライアントを説得するか、もしくはどうやってCRに考えをまげてもらうか。
人を感動させる料理、すなわちコンテンツ、CRは全てのバランスを熟練した感動請負人が自分をとことん追い込んで作っています。だからこそ人を感動させることは言うまでもありません。人が作った絶妙な配合だからこそ感動は生まれるのです。

さて、そんな感動もちょっとした危機に見舞われているのが昨今です。
ここでようやく「届ける」の登場です。

デジタル登場前は素朴に届けていました。CMはお茶の間のエンタティメントと言われていた時代です。あのCMが! とTVの前に釘付けになった経験はありませんか?

ところがデジタルが「届ける」の主流になりつつある今、そんな形が曲げられて、料理人が作った絶品料理を出前のお兄さんが途中で勝手に取り分けたり、関係ない調味料を振ってみたりすることが起きています。

某SNS系のメディアで、感動の高まる部分だけ広告に用いれば費用効果は上がる、なんて話がありましたね。それって秒単位のカラーコピーを出されたときと大差ないと思います。
Uber Eats、便利ですよね。出前もいろんな形が出てきました。
美味しい料理をそのままの感動を最大限に感じさせる出前もあれば、逆もあります。
素敵なビジュアルにひかれて買った商品の広告がPC画面に切り張りのようにマルチで登場する質の悪い広告に変換されたときには、その商品を買った自分に自己嫌悪さえ覚えるかもしれません。

「作る」「届ける」この二つの役割を混同させて、ひたすら「CXX」とかローマ字3文字言葉の踊る分析に一喜一憂する昨今の風景は、広告の本来を忘れているような気がします。もちろんデジタル・マーケティングは素晴らしいツールです、デジタルに魅了されて何年も仕事をしてきたので心底そう思います。
要はそれを扱う人の力量が問われることになっていると思います。

素敵な料理を作るところから届けるところまで最適な道筋を作って最も人を感動させられるか、その場の数字にもてあそばれて結果的に二度と注文の来ない料理にするか。

Twitterは日本で非常に好まれています。
それは匿名性などもありますが、何と言っても感動をリアルタイムで共有できることです。そのTwitterは昨年大幅に業績を向上させました。理由は優良コンテンツをどんどん取り入れたからですね。携帯の小さな画面でも感動を生むことができて、さらに感動付加価値をつける。Twitterは一例ですが、どうやって感動という生ものをうまく届けることができるかというヒントがありそうです。

デジタルを上手に「届ける」に生かして、未来の美味しい「料理」にチャレンジしませんか?

そろそろイベントも始まります、ようこそAdvertising Weekへ、これからの感動のレシピとデリバリーを探ってみてください。

Advertising Week Asia 2019
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