母からの遺言「性格俳優になるな」、その思いは?(ゲスト:三上博史)【後編】

三上博史さんと寺山修司の出会い

権八:『書を捨てよ、町へ出よう』という言葉がとても有名じゃないですか。はっきり言うと、それぐらいしか知らないんですけど、すみません(笑)。でも、『あゝ荒野』って最近やってましたよね。

澤本:映画でね。菅田将暉くんが。

三上:僕は寺山とは渋谷でぶらぶら歩いてるときに何回かばったり会ったんですけど、必ず何十冊の本を買っていて、そういう姿しか見てないですね。とにかく両手に本を抱えている。仕事場に行ってもバーッと本が並んでるんだけど、全部付箋で、付箋魔、引用魔ですね。これからもってきて、それを落とし込んでというのが天才的ではないかなと。

澤本:リアルに寺山さんのお話を聞けたのは初めてなのでよかったです。

権八:そもそも、三上さんはどうして15歳のときに寺山さんに出会ったんですか?

三上:僕は普通の高校生でしたけど、変わった友達がいて、新聞の切り抜きをもってきて「寺山修司という人が映画つくるぞ。募集してるから出てみー」と。

あらすじを見たら、その頃は高校1年でゴジラとエクソシストしか見たことないようなガキだから全然わからない。僕は「寺山修司、競馬の解説してたな」ぐらいの知識しかなくて、あらすじを見てたら泉鏡花原作の『草迷宮』という映画だったんですけど、魑魅魍魎が、スイカ男が出てきてどうこうというもので、「これ日本のホラーだぜ」と言ったら、友達が「ホラー映画いいじゃん、出ろよ」と返したのがきっかけです。

自分なりに高校生なりに勉強するわけですよね。その頃はネットがないから調べるのは時間かかったけど、寺山さんはこういう人なんだと。まわりの素晴らしい大人たちの話を聞きつつ、ものすごい吸収時期でしたね。だから寺山さんから直接教わったというよりも、そこにいたことでフェリーニ、パゾリーニが出てきたり。二十歳ぐらいまでそこで頭でっかちになっちゃうという。

権八:既に役者をしていたわけじゃなく、いきなり?

三上:いきなりですね。で、素っ裸にされて、助監督におちんちんの毛を切られて。フランス映画だったので全部出さないといけなかったりして。ちょっと生えすぎてるぞと。13歳の役だからもっと切ろうぜと切られたり。何やってるんだろうと思いましたけどね。

一同:(笑)

権八:毎日カルチャーショックというか、凄い体験ですよね。

三上:ね。カメラマンさんも照明さんも一流。チーフ助監督が相米慎二さんだったりするので、凄いメンツなんだけど、僕は「ビッグネームだか何だか知らないけど、雨の中で冷たい弁当食って、それでいいの大人って?」と思ったんですよ。

澤本:(笑)

三上:僕は温かいごはんを食べたいし、いい車に乗って、いい家買ってやろうと「イチ抜けた」と受験勉強に戻ったんです。でも何か隙間風が吹くんですよ。結局自分で自分をごまかしてたんでしょうね。はたと「あそこに帰りたい」と思ったんです。

帰りたい場所って何なんだろうと思ったんだけど、「人前で映画に出たいの?」と思ったら、そういうことではなくて、ものをつくってる集団、祭りみたいなものに帰りたかったんでしょうね。そこから悩みながら、迷いながら、学業と映画を続けて、二十歳でお袋が死んでいくと。それで腹をくくってガーッといく、という流れですね。

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