【対談】
多田 琢 氏(TUGBOAT/クリエイティブディレクター・CMプランナー)
菅野 薫 氏(電通、Dentsu Lab Tokyo/エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター)
審査ってなんだろう?
菅野:多田さんが審査委員長って、意外です。
多田:まずそんな柄じゃないって自分で思うね。でも受けちゃったからなぁ…不良のフリしてたらいつの間にか生徒会長やっているっていう恥ずかしさ?審査委員長って、ちょっと現役感が薄いしね。あれ、俺はこっち側なの?っていう一抹の寂しさ。それで今度は審査委員を決めなきゃってことになって依頼すると、「審査する側には行きたくない」っていう人もいてね。そういうの聞くと、「うん、その判断は素晴らしい!」って思う(笑)。
菅野:できればそっち側の人間でいたいと思いますよね(笑)。
多田:人のつくったものを審査することの、僭越さがそもそもありますからね。
菅野:そもそも、アイデアに順位があるのかという話もありますし。
多田:そうそう。グランプリって、きっとそれぞれが「これがグランプリだ」と思っているものがあると思う。そして審査会に行ってそれが違っていたことを確認しに行くような感じ。
菅野:以前フィルム部門の審査委員を担当させてもらったときに、少し捉え方が違うなと思ったんです。応募数の違いもあって特にBC部門と違うのは、ゴールドが今年のベストテンという認識で議論していますね。ゴールドに入ることがすごく特別で、順位に関していうとそこに入っている重みが大きいなと。グランプリはその中の一番かというと、また少し違って「今年はこれを褒めるべきだろう」という文脈とか提言があって決められる。
多田:多分、どの賞もそうなんじゃないかな。個人のグランプリは、全部違っていていい。だけど審査がある以上、何がグランプリかっていうのは、審査会の目線というか、次の世代へのバトンだったりするじゃない。
菅野:カンヌライオンズとかも確かにそうですね。業界に対しての提言になっているかどうかしっかり議論する。海外にも純粋に投票だけの広告賞もありますが。映画でいうと、アカデミー賞なんかもその視座がありますね。選択することから生まれる世の中へのメッセージを考えているなあと。
多田:カンヌ映画祭なんか審査委員長によって基準がガラッと変わったりするよね。
菅野:そうですね。カンヌはライオンズも映画祭も、審査委員長で、グランプリなんかは特に結果が変わると思います。どこの国の出身でどこで働いている人が審査委員長か?年齢は?得意分野は?選ばれる人によって前提として提示される審査基準の振れ幅が相当大きいですからね。
多田:コーエン兄弟が審査委員長の時に、グザヴィエ・ドランがグランプリだったんだけど、素晴らしいなと思った。こうやって若いスターが生まれ、常に新しい映画の価値観を模索しながら文化を継承していくんだなって。俺にとって審査のひとつの理想を見た気がした。でも広告ってそういう作品ではないから難しい。
ところで去年部門を増やして、いろいろ大変だったと思うけど、素直にどうだった?
菅野:CM制作の技術として褒めることとまた別の、明らかに今の時代に広告制作者として取り組むべき領域で、現場の制作者が気にしているようなアイディアを拾えるようにはなったかなあ。全然全部じゃないけど。前提の課題認識として、ADCやTCCやACCは拾いきれていなかったけど、すごく世の中に響いていたり、がんばっていたり、現場から高く評価されているアイディアや才能がいるというのは現場感覚的にあったので、そこには少し踏み込めたかも。そういうことをACCでやるべきかどうかは深く考えていないんですけど、大事な技術や才能を褒められる場があったら業界的にはいいかなあと。ただ、悩んでいる部分も多々あります。
多田:何事も新しいことは面白くていいと思う。
菅野:僕が学生で広告業界に憧れていた頃は、多田さん、TUGBOATの皆さんとか、佐々木(宏)さんとかがやられていたこと、一生活者として普通に見ていてメジャーな中に尖った感覚があって好きだと感じていたことと、広告業界で評価されていることが比較的一致していて、あんまり不健康な感じがなかったんですよね。良い仕事が出来るようになるには、逃げずに言葉やデザインや映像表現の技術を身に付けるしかなかった。
明快に。インターネット以降の広告は、デジタルテクノロジー、プロモーション、PRといった、まさにBC部門で扱おうとしている幅広い領域の視点と表現技術が必要になりました。広告の技術が求められる領域がどんどん広がっていることはとても良いことなんだけど、身に付けなきゃいけないことが増えて、新しいってことだけで簡単にもてはやされるし、何でも出来ますみたいになってしまって個々の専門性というか技術が劣化しているんじゃないかと感じたりしています。
「フィルムもつくれます、テクノロジーも詳しいです。僕マルチプレイヤーです」ということが増えて、結果プロフェッショナルとしてお金をもらうのに相応しい部分がどこなのかが曖昧に感じることがあります。フィルム部門と真逆で、BC部門が扱う領域には器用貧乏のほうに行きかねない“あれもこれも感”がある気がします。結果、昨年のBC部門を受賞したのは、“あれもこれも”な仕事ではなく、今まで広告クリエイティブの領域とされていた幅を超えた新しい視点や尖った技術を提示していたものでした。
多田:今この業界には、いろいろな情報やテクノロジーを使って賢い答えを出すと褒められる、という空気を肌で感じるよ。ただ個人的にはアナトールが言った「退屈な賢さより、情熱的な狂気」は、何かをつくり出すことを生業にする人には絶対重要なことだと思っているからマルチでもいいけど、どこか飛び抜けたところを追求してほしいよね。
菅野:以前のほうが明快で、「良い表現をつくるために、しっかり技術を身に付けること」と向き合わないとどうにもならなかった気がします。尊敬される技術は、プレゼンの上手い下手ではなくて、世の中を持って行っちゃう表現がつくれるかどうか、それだけが唯一の価値。
そういうところから、だんだん自己肯定、自分語り的なプレゼンの技術の話が増えいって、説教臭くなっている気がします。世の中に出た表現が本当に良いか以前の部分ばかり。海外の広告賞の審査形式の影響ですけど、そもそも応募の仕方が「こういう課題に対して、こういうすごいアイディアとエグゼキューションで、こんなに世の中が動きました」って自分で説明しますから。作品だけを見て純粋に評価するのではなく、書類やビデオでプレゼンを受けて審査するわけです。応募する側もなかなかのドヤ顔が強いられます。当然BC部門では日本国内の賞なので、説明なしの作品だけの応募も当然受け入れていますが。