ACC賞審査委員長対談 多田琢氏(フィルム部門)×菅野薫氏(ブランデッド・コミュニケーション部門)

出すか出さぬか「ベスト・オブ・ベスト」

菅野:フィルムの審査委員長として、ここは変えたいとかありましたか。

多田:各部門のグランプリの中から、グランプリのグランプリを選んだらいいんじゃないかなって。このふたりの間だけでもいいけどね。審査委員長が全員集まって、この中からグランプリを決めましょうと。今年はなんとラジオCMでした!とか。

菅野:すごいいい、やりたいです。

多田:デメリットは、せっかくグランプリもらった人が「あれ?」ってなっちゃうことかな(笑)。実はあなたの作品は全体グランプリの中では6位デスみたいなことが起きる。贈賞式も、「グランプリのグランプリ」のためのものになっちゃうよね。それが励みになればいいけど。

菅野:フィルムが勝つんじゃないですか。

多田:それはそれでつまんないかも。今年一番テレビで目立ってましたっていうんじゃなくて、広告の本質的な部分で最も優れたアイディアを提供できたのがフィルム部門の作品であった、となりたいよね。だからしばらくは他の部門からそれが選ばれたほうが全体の底上げになるのかもしれない。

菅野:以前、フィルム部門の審査委員をさせていただいたとき、最初疑いの姿勢をもって行ったんですよ。これだけの熟練の諸先輩方が集まって選ぶと、“CMってこういうもんだよね”的に選ぶんじゃないかって。いつも同じような人がつくったものが褒められている印象だったので。ずっと続くコミュニティで、ひとつの凝り固まった美学が固まってしまって。

うっすら誰が制作したかも気づいている感じで。でも審査の中に入ってみるとそういう偏見は一切なく、普通に上手なものは上手なんですよね。これは発見があって表現のアイディアがあるってものをちゃんと選ぶと、あとでクレジット見て、そうかあの人なのか、やっぱりうまいなというような感じでした。

審査委員もピュアに選んでいて、結果そうなっちゃってるんだとわかったんですよね。外から見ると「サロン化してるんじゃないか」と思われがちなので、そこはもっと知ってほしいなと思いました。ある種絶望的な話でもあるのだけど。

多田:今年は若い人たち中心に審査委員をやってもらったらどうなるのかなと、ある種実験がないと面白くないから。でも審査委員として選んだんだけど、気持ちの中にはグランプリ獲ってほしい若手として選んだ面もある。長久允くんとか、日本より海外のほうが評価早かったもんね。なんでいつも逆輸入になるまで日本はわからないのかな、そういうの悔しいんだよね。

菅野:悔しいですよ。しかも日本人、絶対好きだと思うもん、あれ。

多田:彼の映画「ウィー・アー・リトルゾンビーズ」を見て思ったのは、人の心の動かし方ってこういうことができるんだな、と。映画の中の音声はセリフのようでいて、本当は全部が長久の「詩」なんだなと思った。子供たちがみんなめちゃくちゃ感情込めないでセリフをしゃべるんだけど、それが徐々に心地よくなって、ずっとそれを聞いていたい、って思っちゃうんだよね。

菅野:ああ。

多田:本来は演者がセリフにのせるべき感情が意図的に排除されている。そうすると面白いことに、そのセリフに込められるべき「感情」が、本開いて詩を見ている時のように、我々に委ねられていく。演者が「死ねばいいのに」と言った時、そこに演者の感情はなく、コトバだけが届く。だから自分がそれに対して感情をつくれる余地がある。映像もセリフもあるのに、それを受け入れるだけでなく、さらに感情を自分でつくり出して楽しんでいる。なんでああいう風にしたのと聞いたら、「テキストにしたかった」と言うんだよね。

菅野:意図的なんだ。

多田:完全に、意図にのっかっちゃったから悔しかったんだけど。どうやったら新しい映像とか、表現とか、感動させるものを生み出せるかの可能性は、どのジャンルだろうとまだまだあるんだな。映像がリッチになりました、やり尽くしました、ではない。そういうものを見つけられたら面白い。フィルムだろうと、BCだろうと、なんだろうとそういうものに出てきてほしい。

菅野:ああいう才能が出てきたことは、業界にとって本当に素晴らしいと思います。嬉しいですし、自分も頑張ろうと思います。

次ページ 「目線を変えるって、俺たちの能力じゃないか」へ続く

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