自分に足りないものを映し出す編集者という鏡

文章はハッタリが効かない

「できるか分かんないことも『できる』と言い張って、良い意味でハッタリかましていかないと、仕事なんて増えないよ」。

あるフリーランスの友人が言っていた。もっともだと思う。自分を成長させていくためにも、必要な意識だろう。

だが扱うものが「文章」である以上、編集者にハッタリは通用しない、と僕は思っている。その編集者が優秀であれば、尚更だ。

奇跡的な幸運に恵まれて、講座終了後に書籍を刊行することとなった。版元は誰もが知る大手。担当してくれたのは、ベテランの編集者だ。活字の世界に憧れてきた僕は、人生で初めて出会う編集者という生き物を前にしてガチガチ。先方からの執筆依頼ということもあってか、編集者は新人で若造の僕にも、信頼と敬意を持って接してくれる。僕もそれに応えるため、精一杯背伸びをして向き合った。

編集者は、途中の原稿を見せる度、「いいと思います」と言った。しかし口とは裏腹に、表情は一度も高揚することがなく、その目は「物足りなさ」を訴えていた。

自分の「不足」と向き合う

見透かされている、と感じた。テーマの描き方など表層的なことではなく、もっと深い何か。これまでの人生で何を読み、何を考えてきたか、どう生きてきたか。いや、それよりも、何を読まず、何を考えず、何をしてこなかったか―。編集者が言葉少なに示唆してくれたのは、文章力のみならず、人生経験的なものまでを含めた僕の「不足」だった。文章には、書き手の全てが表れる。対面の背伸びではごまかせても、活字の上でハッタリはかませないのだと痛感した。

「不足」に身を灼かれる思いをしながら、どうにかこうにか本一冊分の原稿を書き上げた。自分の著書を世に出すことに、漠然と憧れていた。だが書店に並んだ自分の本を目にした時胸に湧いたのは、ほんの僅かな喜びと、はるかに圧倒的な「もっと力をつけなければ」という思いだった。つまるところ、本を執筆したことの一番の収穫は、自分の「不足」を自覚できたことだったと思う。

書き手にとって編集者とは、鏡のようなものかもしれない。彼らの前に立つと、筆力のなさや手抜き、自分で自分をごまかしている部分に向き合わされる。媒体や人によって様々だろうが、良い物を生み出すパートナーとして、編集者とはそういう存在であってほしい。

新人の段階で、暖かく、大きく、厳しい編集者と出会えたことは僕の幸運だった。いつか彼らの表情を高揚させるべく、筆を、自分自身を、磨いていきたい。


廣瀬正樹(ひろせ・まさき)

名古屋市生まれ、東京在住。ライター、カメラマン。テレビ局で報道記者、カメラマンとして勤務し、2018年独立。Yahoo!ニュース特集などで執筆。第33期「編集・ライター養成講座」修了生。

 

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