これからのクリエイターに必要なのは、相手の「普通」を感じ取る力 — 加藤建吾


【前回】「10年後、20年後にもデザイナーとして必要とされるための3つのこと — 木住野彰悟」はこちら

これまで2000名以上が学んできた、宣伝会議のアートディレクター養成講座(以下 ARTS)。本コラムではその講師陣や実績を上げた修了生に、アートディレクターとしてブレイクスルーした瞬間や仕事上のターニングポイント、部下・後輩の指導法などから1つの質問を問いかけていきます。第2回の担当は、TUGBOAT2/TUGBOAT DESIGNの加藤 建吾さん。クリエイターにとっての「才能」と「センス」についてお答えいただきました。

Q.自分は30代前半のデザイナーです。デザイナーやアートディレクターはよく、才能やセンスで語られがちですが、今からでも自分のスキルや力を磨いていくためには、どのようにしたらよいでしょうか。

回答者:加藤建吾(TUGBOAT2/TUGBOAT DESIGN アートディレクター)

この質問には突っ込みたいところが満載ですね。でも気持ちはわかります。

そもそも才能やセンスという言葉は解釈が難しい。この言葉を個人がどう捉えているかで、向いていく方向が、磨き方が、伸ばし方が、大きく変わっていくものだと思います。これが題材となると、少なくとも倍くらいの文字量が必要になりそうです。残念ながら文字数も限られているので、今回は質問に答えるに一番大事な、その前提の部分にだけフォーカスしていこうと思います。

大人にとっての才能やセンス

そもそも、この質問は「才能やセンス」が先天的なものだということを前提にしているように思います。本当にそうでしょうか。

ではここで今まで生きてきた中で、この人は才能とセンスに恵まれている!という人物を思い出してみてください。子供の頃か、学生時代あたりの人物が良いですね。誰でも一人くらい出会っているのではないでしょうか。絵の上手い人、足の速い人、ユーモアのある人、思い当たる節がありますよね。

ですが、その人物は大人になった今でも、その才能やセンスを遺憾無く発揮し続けていますか。もしそうであればそんな素晴らしいことはないですが、大抵そうなっていないのではないでしょうか。

学生の時のそれは、それこそ成長する過程や身体的な特徴などもあり、先天的な部分での差が分かりやすくついてしまっていたと思います。いま思い返してみると、それは単にその時点のもの、子供の頃の話です。大人になった今、同じようにその差を感じていたとしたら、単に自分がその分野にそれほど興味を持てなく、情熱や努力を傾けていないだけではないでしょうか。

仮にいま自分の取り組みたい何かがあったとして、才能やセンスがないから止めよう、という程度のことであれば、それはそれこそ、その程度の才能しかない分野で、センスを発揮する価値も無かったのかもしれません。

何であれどうしてもやりたいという事であれば、そのやりたいと思う自分の強い意思こそ、才能やセンスの可能性で、活力ではないでしょうか。人は人生の中で、その才能やセンスというものを活かせる何かに出会えるかではない。可能性を活かすか、殺すか、きっかけは自分自身にあるのではないでしょうか。

僕は、基本的に才能やセンスは、発見、理解し、考え、磨き、そして伸ばし続けなければならないものだと考えています。裏を返すと、考えなしに、磨かずにいると、才能やセンスというものは、そこに停滞し、ある時には、成長してゆく自分に、気持ちに、追いついて来られなくなってしまうものだと考えているということです。才能やセンスという言葉は、大人になった今、後天的に備わってゆくものこそが大事と考えていて、人生に必要な可能性だと思っています。

では才能やセンスをどう備え、身につけ、スキルを磨き、結果を残していけば良いか。それはもう膨大な方法論があるでしょうし、人による、と言ったらそれまでですが、千差万別でしょう。正直いまここで書ける答えはありません。ですが才能やセンスを養い、発揮するに当たって、個人的にこれだけは下地としてどんな人にも必要だと思っていることがあります。

クリエイターのセンスを活かす下地となるもの

ここでちょっと考えてもらいたいのですが、「普通」ってなんでしょうか?

辞書を引くと、「あたりまえであること、特別ではなく、一般的であること」

こんなようなことが書いてあります。この言葉はおそらく、ほぼ解釈にブレが無い共通認識ですね。ですが「普通」の、 ――何と言ったら適当なのか迷うところですが ―― 基準、常識のようなものって共通でしょうか。当たり前のことですが、個人の「普通」の解釈ってそれぞれ違いますよね。

デザイナー・アートディレクターを始め、クリエイターと呼ばれる人のほとんどは専門職のような立ち位置でいることが非常に多いと思います。今回の質問では、この立ち位置でのスキルや力の付け方を、車に例えて考えてみます。

クリエイターはレースをするために特化したレーシングカーのような存在、という解釈の人が多いように思います。広告ならば、広告を作ることに特化した、かなり専門的なスペシャリストという意味です。車を速くするためにパワーを求め、タイムを上げるためにチューニングパーツを組み込む。これを個体の才能やセンスを高めていく行為としましょう。

ですがその個性は、どこを走るためなのでしょうか。サーキットを最速で走り抜けなければいけないような仕事もあります。ごく稀に。しかし本物のレーシングカーは普通の公道に持ってくると、まともに走れなく、交差点を曲がることすら難しい稀な存在です。

どうしても個性を高め、スキルを身につけ、結果を残すことばかりに目が行きがちです。大事なことですが、そんなことばかりに躍起になっていないで、まずしっかりと、どんな道でも走れる準備をするべきだと思います。我々が走る道は、サーキットの時もあれば、オフロード、道無き道をゆく時すらあります。ですが、「普通」の道を走らなければいけないような仕事の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

ただし、先ほども言ったように「普通」にも様々な解釈があります。それはクライアントや、その先のユーザー、など多くの人の「普通」の上に、我々の仕事が成り立っているはずです。その感覚をまた道だとした時、どんな道をどういうルートを通ってスムースにかつ魅力的に走るか、そんな普通を駆け抜ける能力って、個が目立っている時代だからこそとても重要なのだと思います。

相手の普通をある種、センサーのように感じ取り理解できる能力を養うことは、どんな風に能力を発揮すれば良いかがわかるということ。つまり、あなたの才能やセンスを必ず活かす、とても大事なことなのだと思うのです。

それにはまず自分の「普通」の解釈から理解してみてはどうでしょうか。人は案外と色々な解釈がフワッとしていることが多いと思います。僕もこれを書いていて改めて理解したことや明確になったイメージがありました。きっと自分を知らない人は、相手の「普通」など理解できないはずですから。

加藤 建吾
TUGBOAT2/TUGBOAT DESIGN
アートディレクター

1972年生まれ。97年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。同年(株)電通テック入社。00年「TUGBOAT 2」設立。16年「TUGBOAT DESIGN」設立。主な受賞歴:東京ADC賞、CLIO AWARDS、THE ONE SHOW、ニューヨークADC、ニューヨークフェスティバル、LIAAロンドン国際広告賞、アジア・パンパシフィックアワード、朝日広告賞、毎日広告デザイン賞、読売広告賞、広告電通賞、日経広告賞、ACC賞、パッケージデザイン大賞、交通広告グランプリ、他多数。

 

アートディレクター養成講座(ARTS)

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<次回の開講のご案内>
講義日程:2019年8月6日(火)から全30回
講義会場:東京・南青山 受講定員:90名
詳細URL:https://www.sendenkaigi.com/class/detail/art_director.php

宣伝会議 アートディレクター養成講座事務局
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