業界の常識「広告はセールス」はいつから広まった? 広告の歴史を学ぶ その➁

広告とは「ひとつのメッセージを頭に入れ込む」こと

スタークスコアで一般的になった「アテンション」ですが、彼は著書ではAIDAに加えて確信と記憶を加えていました。ですが彼は自身のスタークスコアではこの記憶についての調査よりも、アテンションについての調査設計になっていました。

この広告の記憶についてスタークと違う調査を実施したのがジョージ・ギャロップです。彼は米ヤング&ルビカムにおいて広告会社において初の調査部門を立ち上げただけでなく、1947年以降は自身が興した調査会社に専念しました。デヴィッド・オグルビーはこのギャロップ出身だったことでも知られています。

ギャロップは1951年に「インパクト」と呼ばれる広告調査を生み出し、それを広告会社ではなく広告主にのみ提供しました。それはスタークスコアのように新聞や雑誌の読者に聞くのではなく、広告とそのメッセージを記憶しているかどうかを調査するものでした。彼の調査の実績は1936年のルーズベルト大統領選挙の予測に端を発しており、広告主により信頼できる調査手法として「広告メッセージの想起(Ad message recall」を加えたのです。

1961年にはラッセル・コーレイによりアメリカ広告主協会(ANA)からDAGMAR(Defining Advertising Goals for Measured Advertising Results)が発表されました。DAGMARにはAIDAと似たプロセスが出てきますが、ここでアテンション(Attention)が、アウェアネス(Awareness認知)と置き換えられることで、広告の目指す目的は広告自体がまず認知され理解されること、という前提がほぼ常識となりつつありました。

そして広告会社テッド・ベイツの創業者であり、同じく1961年に『Reality in Advertising(広告の現実)』を著したロッサー・リーブスは、ホプキンスと同様「広告とはセールス」の信奉者でした。彼が後世の広告業界に影響を与えたUSPはその名の通り、Selling(売ること)を目指すメッセージだったわけです。そして、ここで広告はセールスという考えのリーブスによるアップデート版が生まれます。

それは、「消費者は広告からひとつのこと、強い主張とか、強いコンセプトのようなものしか記憶していない」ことから、「広告とはなるべく低いコストで多くの人々の頭の中にUSPを入れ込むアートである」と定義しました。そしてリーブスによって現代の広告業界のクリエイティブブリーフにおいて「広告のメッセージとは、最も伝えたい、ただ一つの重要なことを選ぶこと」という常識がつくられたのです。

次ページ 「「広告はセールス」の時代の矛盾」へ続く

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鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)
鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)

1991年広告会社の営業としてスタートし、ナイキジャパンで7年のマーケティング経験を経て2009年にニューバランス ジャパンに入社し現在に至る。ブランドマネジメントおよびPRや広告をはじめデジタル、イベント、店頭を含むマーケティングコミュニケーション全般を担当。

鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)

1991年広告会社の営業としてスタートし、ナイキジャパンで7年のマーケティング経験を経て2009年にニューバランス ジャパンに入社し現在に至る。ブランドマネジメントおよびPRや広告をはじめデジタル、イベント、店頭を含むマーケティングコミュニケーション全般を担当。

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