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【前回のコラム】「コピーライターに向いている、向いていないは関係ない 大事なのは「姿勢」だった」はこちら
金の鉛筆に運命を託した
「金の鉛筆を1本でも貰えたら、コピーライターを目指そう。貰えなかった時は、きっぱり諦めよう」。
自分の中で一大決心した20歳の春に、宣伝会議「コピーライター養成講座」名古屋教室の門を叩きました。
「コピーライターはセンスと才能がある人にしか無理なんだろうな。私みたいな凡人がなれるはずないんだろうな」と、講座に通うまでは心のどこかで思っていた。確かに、思っていた通りセンスも才能もなかったけど、その4年後に、私はコピーライターになりました。
コピーライターって何?
地元の友達に「東京でコピーライターをしている」と伝えると、「何それ? コピーを上手にとる仕事? それアルバイトじゃん」と結構本気で言われます(これって私だけ?)。
私だって20歳の時に1冊の本と出会っていなかったら、きっとコピーライターという職業を知らずに生きていたので、そのように言ってくる友人たちをバカにできません。
コピーライターという仕事を知ったのは、本当に偶然だった。大学3年の時、新入生の前でスピーチをすることになり、どうにかしてうまく話せる方法を探していた時に出会ったのがコピーライターの方の本でした。
パラパラと読んでみると、コピーライターは広告のキャッチコピーを書く仕事らしい。最初は、「へー、そんなニッチな仕事があるんだ」くらいにしか思いませんでした。
ところが読み進めていると、「僕はコピーライターになるための学校に通っていました」という一文が。小学生の頃に広告会社が舞台の月9ドラマを見て、少しだけ広告業界に憧れていたな、なんてことをふと思い出しました。
「そういう仕事って学校に通えばなれるものなんだろうか?」と興味が湧き、スマホで“コピーライター 学校”で検索して一番上に出てきたのが「コピーライター養成講座」。これが後に、何にもなかった私の人生を大きく動かす、宣伝会議との出会いです。「名古屋支社なら家からそんなに遠くないし、ちょうど今週末に体験講座があるらしい。無料ならとりあえず行ってみようかなあ」くらいのノリで、その場で申し込みました。
どうせ私が行ったって…
ここだけの話、講座に通うつもりは当時まったくありませんでした。というのも、申し込んでから体験講座に行くまでの一週間に、どんな講座だろうとSNSで調べてみたところ、「大手広告会社の社員が研修として受ける講座でした」「普通の会社員が行っても意味がなかった」「コピーライターにはなれません」という投稿がちらほら見受けられたからです。
そんな言葉が多く目に入ってきたのもあって、行く前まではあんまり期待していませんでした。
「何も知らないくせに」って思われたくない。
体験講座当日、受付に並ぶと明らかに周りは大人ばかりで、しかもみんな顔見知りっぽくて場違い感がすごい…と勝手に萎縮して、後ろの方の席にちょこんと座りました。広告の知識ほぼゼロで挑んだ、約2時間の体験講座。街中で見かけるたった15文字に、こんなにも想いが込められていることや、広告や業界について初めて知ることばかり。それは想像の何十倍も面白くて、大学の授業なんかよりずっと魅力的でした。
体験講座を受けながら、「私もコピーライターになりたい」という想いがじんわりと湧いてきます。ただそこで現れる、受講料の壁。時給900円のスーパーで週3日しかバイトしてなかった私にとって、17万円は超大金。
うーん、どうしよう。困ったな。でも考えてみれば、うちの大学に広告の授業なんてない。そんな中いきなり就活で、「勉強したことはありません!でも広告業界で働きたいです!コピーライターになりたいです!」なんて言うのはおこがましいよなと、私は「コピーライター養成講座」の受講を決めたのでした。
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海本 栞璃
PARKコピーライター。1994年生まれ。愛知県出身。宣伝会議「コピーライター養成講座 」名古屋教室 20期修了。名古屋商科大学を卒業後、名古屋の印刷会社を経て、2019年1月より現職。「愛はあるか?」を企業理念に、スタートアップ・ベンチャーのブランディング・CI/VI開発を中心に活動。「死ぬこと以外はかすり傷」を座右の銘に、東京という大都会で日々奮闘中。