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【前回のコラム】「コピーライターを知らなかった名古屋の大学生が、東京でコピーライターになるまで。」はこちら
「最初だけのやつ」とは思われたくない
「コピーライター養成講座で何を学びましたか?」と聞かれたら、コピーの書き方や広告の基礎はもちろんですが、一番は「悔しい気持ち」だと思います。
私の通っていた20期のメンバーは約50人。私みたいに学生でコピーライティングが未経験の人もいれば、現役のコピーライターとしてバリバリ活躍している人もいる。そんなバラバラな属性の人たちが同じ教室で毎週一緒に講義を受けて、同じ課題が評価される環境はきっとコピーライター養成講座以外にない気がします。
前回も書いたように、「金の鉛筆を1本でももらえたら、コピーライターを目指そう」と意気込んで講座に通う決意はしたものの、マーケティング学科の私はもちろんコピーなんて書いたこともない。とりあえず本屋に行ってキャッチコピー集とハウツー本を一冊ずつ買い、読んで、読んで、読みまくりましたが、何が正解なのかは全然わからない。そんな中、最初の課題を提出しました。
初回の講義。一番前の真ん中の席で、講義の全てを吸収する気持ちで臨みました。そこでコピーライティングの基礎や書き方を初めて学び、「今回は全然できなかったから次から頑張ろう」と反省。講義の後半は課題の講評が始まり、10位の人から名前と評価コメントがされていきました。
「すごいなー、羨ましいなー」なんて思いながらみんなのコピーをメモしていたら、「1位は…海本栞璃さんです。どの方ですかー?」と聞き覚えのある名前が呼ばれている。その時の正直な気持ちは、「やったー」ではなく「どうしよう」でした。本を読んで、見よう見まねで書いたコピーで1位を獲ってしまった、ヤバイぞ、と。
さらにその後に講師の方が言った、「今日鉛筆をもらえなかった方は、落ち込まなくても大丈夫です。今日の順位なんて簡単にひっくり返せるので」という言葉が、焦る気持ちに追い打ちをかけます。
「最初だけのやつだったとは思われたくない。全課題で金の鉛筆を狙う気持ちで半年間を過ごそう」。この日、新たなマイルールが課されたのでした。
初回の講義で金の鉛筆をもらっていなかったら、もしかすると講座に通ったこと自体に満足してしまって、「私には才能がなかった」と諦めて違う人生を歩んでいたかもしれないな、と思うことがあります。あの鉛筆と講師の言葉のおかげで毎回、最前列で講義を聞くようになり、全力で取り組むからこそ、課題の評価に一喜一憂して、年上の同期たちに嫉妬したりしながら半年間を駆け抜けることができました。
普通に過ごしていたら出会えなかった、特別な仲間たち
「じゃあ、コピーライター養成講座で得たものは何ですか?」と聞かれたら、それは仲間です。そのくらい、ここで出会った人たちは私にとって特別な存在です。みんな年上なんですが私は勝手に友達だと思っています。
悩んだ時は自分のことのように一緒に考えてくれて、間違っている時はきちんと叱ってくれる。年齢も職業も違う、きっと普通に生活していたら出会うはずがなかった人たちと、こんなに仲良くなれるとは正直思いませんでした(講義終わりの飲み会に皆勤賞で参加して10キロ太った甲斐がありました)。
5年経った今でも仕事の悩みを相談するのも、コンペに誘うのも、ちょっと飲みたいときに連絡するのも、ここで出会った20期の同期です。多分これから何十年経っても、ずっとこの関係は続いていくんだろうなと思っています。
人生が変わるのではなく、人生を変えられる講座
最後に講座の中でもう一つ、私の心にグサっと刺さった言葉を紹介します。
「コピーライター養成講座で人生は変えられる。でも講座に通っただけでコピーライターになれるほど、この世界は甘くないよ」。
電通中部支社の尾崎敬久さんが、講義の最後に言った一言です。通ったら絶対にコピーライターになれるとは流石に思っていませんでしたが、「講座に通っていることを面接で言えば新卒からコピーライターになれるんじゃないかな?」と少々淡い期待を抱いていた私の頭が、ごつんと殴られた気持ちになりました。
コピーライター養成講座はスタートラインで、そこから先は自分で動くしかコピーライターになる道はありません。決して甘くない世界で、私がコピーライターになれたのは、2つの言葉と仲間のおかげでした。
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海本 栞璃
PARKコピーライター。1994年生まれ。愛知県出身。宣伝会議「コピーライター養成講座 」名古屋教室 20期修了。名古屋商科大学を卒業後、名古屋の印刷会社を経て、2019年1月より現職。「愛はあるか?」を企業理念に、スタートアップ・ベンチャーのブランディング・CI/VI開発を中心に活動。「死ぬこと以外はかすり傷」を座右の銘に、東京という大都会で日々奮闘中。