※本コラムは広報会議で連載中の『インターナルコミュニケーション改革』より抜粋しています。
皆さん、こんにちは。ヤマハ発動機の山下和行です。2015年から2019年3月までの4年間、「社内報」のリニューアルを皮切りに、「WEBグループ報」「動画サイト」、そして「デジタルサイネージ」などの企画・運営を通して、社内広報全体の改革に携わりました。
この仕事を担当し始めたころ、所属する広報宣伝部では、企業広報の業務の一部として社内報制作を行っていて、活動予算も限定的で、あまり目立たない仕事でした。また、僕自身も社内広報について知見はなく、社内報制作も手がけた経験はありませんでした。
昨今、社内活性化の要として、一体感や風通しの良さなどを生むインターナルコミュニケーションという考え方が注目を集め、コミュニケーションツールとしての社内報があらためて注目されています。
しかし、当初の僕と同様、門外漢にもかかわらず、社内報担当を命じられた方の多くは、「社長のメッセージを効果的に浸透させたい」「全社員の方向感を合わせたい」「社内でもっと情報共有を進めたい」といった課題を抱えて、どうすればよいか戸惑い、かつ悩みながら奮闘していらっしゃるのではないでしょうか。
やりたくない仕事だった
「社内報を担当してほしい」。ある日突然、上司からこう命じられたら、どんな気持ちになるでしょうか。僕の場合はその瞬間「会社人生は終わった」と思いました。
なぜかといえば、当時の僕が社内報に対して抱いていたイメージは最悪だったからです。そもそも僕自身が社内報をしっかり読んだことがなく、社内報制作といえば、経営方針などをトップダウンで伝えるためのもので、「内向きの」「労多くして実りの少ない」「地味な」仕事という認識でした。そのイメージの背景にあったのは、入社10年目のころ、広報宣伝部で勤務していた時に、傍から社内報制作の仕事を見ていた経験でした。
当時の担当者は、記事作成にあたり社内の情報をコツコツ集め、関係者に話を聞いて回り、自分で原稿を書き、上司をはじめ最後は経営層にまでチェックをお願いして、関係者全員に納得してもらい、紆余曲折の末にようやく発行がかなうといったものでした。
僕自身は、外に出てお客さまや外部の様々な人と接点を持ち、常に動き回りながら進める仕事が好きでしたので、社内報の仕事は真逆だと思っていました。また、当社の社内報は1964年の創刊から月刊で、それを途切れさせず毎月続けていくわけですから、原稿作成だけでなく社内調整に疲弊しそうで、正直なところ広報宣伝部の中で最もやりたくない仕事でした。
ですから、2014年11月のとある日、上司に呼ばれて「社内報を担当してほしい」と言われた瞬間、即座に僕は「嫌です」と返事していました。しかし、「そうか、分かった」と許してもらえるほど会社は甘くはありません。そこで続けて、「なぜ僕なんですか?」と尋ねました。すると上司は「今の社内広報のやり方、特に社内報を変えたい。是非やってほしい」と真剣な表情で答えてくれました。
「変えたい」という言葉を聞いたその瞬間、僕のモチベーションに火がつきました。こうして、2015年1月から社内報制作を軸にした社内広報の仕事を始めました。