面白い広告が「そごう・西武」のブランド資産になっているか?
この構造は百貨店が得意なラグジュアリー製品やお正月のような旬のものを扱う流通にとっては重要です。それは実際に来店し購入する人が少なくても、その行動自体に会話になる認知が得られるからです。パブリックに伝えるということは広告が来店者の社会的価値を上げるという効果があります。
合わせて来店動機は必ずしも合理的である必要はありません。行動経済学でもある通り、「話題になった」というプライミング効果もあり得ますし、そごう・西武がブランドとして親しみやすく感じられることが出来るのであればそれはすでに選択される理由に(無意識のレベルでも)なり得るのです。
一方で検証すべき点があるとすれば、批判的な意見のなかでは、そもそもこの広告がそごう・西武のものとして認識され、独自のブランド資産として記憶に残るのか、という指摘は正しいように思います。
実際の今回のそごう・西武の新聞広告では、コーポレートカラーの淡いブルーが昨年に引き続き使われています。また古い世代の西武百貨店の黄金時代の広告を覚えている人がいれば、そのシンプルな表現に時代観を合わせたクリエイティビティがブランド資産のため、それを結びつけた人もいるようです。このような文脈は新聞広告としてのプレスリリースだからこそ出来るものです。このあたりはどう機能したかどうかは実際に起きたことを検証する必要があるでしょう。
以上は、この広告そのものに対する批判ですが、それ以上にそごう・西武のビジネス状況やマーケティング全体に対する批判もあります。一番大きいのは、このような投資が無駄である、という指摘です。
新聞広告のような高いメディアを買いながら、直接的な販売促進効果がないものは無駄、という指摘が適切かどうかは、これが狙った経営的な効果がなんだったのか、という問いに答えなければいけません。
正月の新聞広告自体、他社の出稿は皆無で必ずしも流通企業のマーケティングのセオリーに合ったものではないことは明らかです。したがってこの広告は通常のマーケティング目的を狙ったものではないでしょう。この施策自体を批判するのは簡単なのですが、この施策に見合うような直接の売上効果を期待しているわけではないはずです。
だからこそ問うべきなのは、この広告が機能させるための西武・そごうのビジネス状況やマーケティング戦略です。
この広告が成り立つためには、このようなブランディング自体が効果的であるような、そごう・西武の会社全体に根幹にあるブランドに対する信念やポテンシャルです。それは、かつてスティーブ・ジョブズ氏が、アップルを再び革命的なブランド文化を持った企業に生まれ変わらせようとした際のような意志があるかどうかです。
そのような意思があるのであれば、セオリーに反してでも、顧客目線でなくても、この戦略には意義があります。むしろ強い意志がないのであれば、この広告は巧拙や直接効果を問うべきであり、これを起点にした新しい顧客体験をどう目指すのか、は別の話になるからです。
アップルは「Think Different」 キャンペーン後に今までにない半透明カラーのカラフルなiMacや、音楽体験を一変させたiPodを発表してアップルの革新性を取り戻しました。そごう・西武のブランディングがうまくいくかどうかは短期的ではなく、今後本当にひっくり返すための戦略をどう考えて実行できるかどうかにかかっていると言えるでしょう。