井上 邦夫(社会情報大学院大学 教授)
コーポレートブランドが重要な経営課題と認識されるようになって久しい。さらに近年では、企業の評判や名声を意味するコーポレート・レピュテーションの概念にも注目が集まるようになっている。どちらも企業にとって、差別化と競争優位性をもたらす重要な無形資産といえよう。
顧客や株主、従業員などの主要ステークホルダーに企業のブランドを認知してもらい、社会全般から「良い会社だ」と思ってもらえるような、揺るぎのない確固たるレピュテーションを構築するためには、企業は自身の軸となる一貫したメッセージを発信していく必要がある。こうしたメッセージの核となるものが、企業のアイデンティティ、すなわちコーポレート・アイデンティティである。
コーポレート・アイデンティティとは、企業の個性や独自性を意味する概念である。個性や独自性を示す要素には様々なものがある。例えば名前やロゴなど表象的なものから、その企業の社風や理念、哲学といった観念的なものまである。こうした個性、独自性を構成する様々な要素を集合的にとらえた概念が、アイデンティティであり、これこそが企業のブランドやレピュテーションを形成する核となるものである。
アイデンティティの確立
企業のブランド認知を高め、社会からの好意的なレピュテーションを得るためには、企業は、まず自社のアイデンティティを確立するところから始めなければならない。つまり、企業の内から始めるのである。
アイデンティティは企業が自ら確立し、ステークホルダーに投影するものであり、ブランドやレピュテーションは、これを受け取ったステークホルダーが自分たちの心の中につくり上げるものである。したがって、前述のように、企業は自身の軸となる一貫したメッセージを継続的に発信していく必要があり、そのためにはメッセージの基礎となる強固なアイデンティティが必要となるのである。
企業のアイデンティティは図1に示された3つのカテゴリー――①基本理念、②価値観・信念、③シンボリズム――に分類された基本要素から構成される。これら3つのカテゴリーに分類された基本要素は、企業のアイデンティティ構築プロセスにおいて、明確に認識される必要がある。すべての要素がお互い矛盾のない一貫したつながりとなるように、関連するすべての分野において現状の組織や活動を見直し、必要に応じて修正を加える。そのうえで、これらを動かしていく原動力としてのコミュニケーション戦略を展開するのである。
図1 コーポレート・アイデンティティの基本構成要素
強固なブランドとレピュテーションは、企業自身がアイデンティティを確立し、ステークホルダーがこれを正しく認知することによって築かれる。まず明確な基本理念を策定し、これを社員一人ひとりが実践して共有する価値観・信念として深く浸透させ、そこから社外に向けてあふれ出させるようにメッセージとして発信していくことがカギとなるのである。ロゴやスローガンといったシンボリズムは、その際に効果的な役割を担うであろう。
こうしたプロセスを実行するうえで重要となるのが、社内コミュニケーションである。高いブランド力とレピュテーションを保持している企業には例外なく、理念を浸透させるための強力な社内コミュニケーションプログラムが存在する。そして、そのプログラムを実施するための、マネジメントによる確固たるコミットメントも存在するのである。効果的な社内コミュニケーションを展開することによってアイデンティティの確立を図り、そのうえで、社員が企業と自らの仕事に誇りをもって社会に語ることができる環境を整えるのである。
概念をめぐる混乱
このように、コーポレート・アイデンティティはブランドやレピュテーションの形成と密接な関係がある。しかし、その概念についての一般的な理解はいまだ十分には進んでいないようである。
アイデンティティは、さまざまな研究分野にまたがる学際的な概念である。それゆえに、概念をめぐる混乱や誤解が生じているのも事実である。ここ数年、アイデンティティに関する文献がブランドの分野に集中していることから、アイデンティティは単なるマーケティングのツールであるかのような誤解も一部では広がっている。コーポレート・アイデンティティは「CI」と略称され、あたかもロゴやシンボルマークといった、ビジュアル・アイデンティティと同義であるかのような、表層的な理解も散見される。これではコーポレート・アイデンティティが本来もつはずの多様な潜在力が活かしきれない。
産業構造の変化や景気の低迷などを背景に、多くの企業が事業の再編や戦略の見直しといった経営課題に直面している。コーポレート・アイデンティティは変革管理に役立つ概念である。アイデンティティの構築プロセスを通して、企業は自社のミッションやビジョン、組織文化の見直しなど、様々な分野において変革を進めることができる。経営者の多くがアイデンティティの概念を再認識することが望まれる。