【前回コラム】「なぜ、ブランドに力を入れる必要があるの? 目的が不明瞭なまま始まるプロジェクトの悲劇」はこちら
手段が目的化した仕事、他人の失態にはすぐ気づく?
これまでの連載では、ブランド論の教科書を読んで、その通りに実践してみたところで、決してブランドはできないということ、またその理由について説明してきました。
特に前回のコラムでは、ブランドができない理由のひとつとして「本来は手段であるはずだったブランドをつくることが目的になる」ことについて解説しました。また、これは実務者のブランドに対する理解が、ブランド論をわかったつもりレベルにとどまっていることが原因であるとも言及しました。
今回は、「ブランドをつくることが目的化」することの弊害として、周囲から総スカンを食ってブランド実務者が孤立する悲劇についてです。ブランドづくりには、本来多くの人の協力が必要です。周囲から孤立してしまえば、ブランドをつくることなどできません。
ブランド実務者が、社内で孤立する理由はふたつあります。
ひとつは、ブランドをつくることが目的になってしまうと、周囲の人からは、実務者がやっている施策が意味のあるようには、とうてい思えないということがあります。
人間は自分が、目的と手段を取り違えている場合、なかなかその事実に気づかないものです。それなのに、不思議なことに他人のやっている仕事において、手段が目的化した時に生まれる、意味のない行為の違和感には敏感に気づく人がでてきます。具体的に言えば「差別化したら、何かよいことあるの?」と疑問に感じてしまうのです。
みんな忙しい。ですから、意味があるとは思えないことに、積極的に協力はしてくれません。
(周囲の人だけでなく、差別化に取り組むブランド実務者から「教科書通りに正しいことをしているはずなのですが、ブランドをやることに、ほんとに意味があるんですかね?」という悩みをブランド実務者飲み会で聞くことすらありました。実務者も違和感を抱いている。ブランド実務者がやる意味に疑問をもっているブランドづくりに、周囲が協力するはずがありません。)
ただ、この違和感は、大きな弊害ではありません。
日本企業では、ブランド以外の仕事も目的と手段が入れ替わっていることが多いので、違和感を持たない人もいるからです。せいぜい積極的に協力しない理由のひとつ程度にとどまります。