無邪気に“モノづくり大国”の誇りを傷つけるブランド担当者
恐るべき弊害を生む大問題になるのは2番目の理由です。
実はこれは、第1回のコラムで書いた「日本にはスーバースターブランドがない」原因のひとつと私は考えています。日本の歴史・日本人の国民性から生まれるものです。
ご存じのように、日本が戦後の高度成長を成し遂げたのは、モノづくりの力があってこそです。品質を大切にし、良い製品をつくることにすべての力を注ぎました。「製品やサービスの質を高めることが正しく、すばらしいことである」という価値観で一生懸命、頑張って日本は成長しました。
メイド・イン・ジャパンといえば、それはすなわち、高品質であることを意味するくらいです。モノづくりとは、すなわち機能性を高めること(高性能なものをつくること)です。それは日本人の強みであり、誇りなのであり、日本人の国民性です。
それなのに、ブランドの実務者は、その誇りを無邪気に傷つけています。
気づいていますか?
気づいていない人が、ほとんどですから翻訳します。
「モノよりコトの時代においては機能的価値よりも情緒的価値が大切だから一緒にブランドをつくろう!」と、一見もっともらしいので、ブランド実務者は、周囲の人にそのまま、この言葉を使ってしまいます。
すると、あなた以外の人には、誇張するとこんな風に聞こえているのです。
「おまえが毎日一生懸命やっている『モノづくり』、『より良いモノをつくること』などというのは、今や時代遅れの意味のないことなのを知らないのか!より性能の良いモノをつくるよりも、いいかんじ!と思ってもらうことが大切な時代なのさ。そんな間抜けなおまえには説明してもわからないだろうが、ブランドの素晴らしさを知っている頭のいい私がやろうとしているブランドづくりに、さあ一緒に取り組もうではないか♪」
こんな人と一緒にブランドをつくろうと思いますか?
少なくとも私は、絶対一緒に仕事をしたくありません。
自分が大切に思って日々一生懸命取り組んでいることを頭ごなしに否定する人には、当然反感を感じます。モノづくりは日本人の誇りであり、これまでの成長をつくってきた実績もあります。
かたやブランドについては、正直うさんくさいなと思う部分もある。とはいえ、何となくありがたそうだったり、偉い人が「やれ」といっているので、表面的には従ったふりをしますが、内心は協力はしたくないと思っています。
心の中は憎しみと拒絶でいっぱい。翻訳せずにブランド論を振りかざすブランド実務者は、無邪気に日本人の誇りを傷つけ続けることで孤立を深めていきます。