照英ブランドの金魚をつくりたい(ゲスト:照英)【後編】

陸上とモデル活動を天秤にかけて

権八:照英さんはやっぱり、全力投球ですよね、常に。

照英:本当は不器用なんですよ。

権八:そこがいいんですよ。

照英:これも、スタッフさんが自分を引っ張り上げてくれるおかげで、ありがたいなって思っています。コマーシャルでいうと演出家の方、監督の方もそうだし、この間サントリーでお会いさせてもらった権八さんも。「照英さ~ん、最高!おもしろいよ~!」って(笑)。

権八:僕そんな偉そうな言い方したかな(笑)。

照英:「もう最高~!」って持ち上げてくれるんですよ(笑)。そしたら次の演技のときに「自分のもっと最大限出してやろう」って思わせてくれる。それがこの業界の楽しさですかね。まだまだ知らない自分を開花させてもらっているような、発掘してくれている感じがするんですよね。

二十数年間頑張らせてもらっているんですけど、飽きたことが一回もないんです。飽きてたらもう辞めちゃって、たぶん違うことやってる気がするんですよね。金魚の飼育家とかね(笑)。犬のブリーディングでビジネス始めてるとか。でもそっちにまでに一切気が回らないぐらい、いろんなことにオファー頂けるのはみなさまのおかげなんですよね。

権八:そもそも、陸上をやられていてどうしてこっちの世界に?

中村:そういえば。俳優・タレントの仕事に、なぜ、どうハマったんですか?

照英:小学生から野球とか水泳とかのスポーツはやってきたんです。中学校である指導者に出会って、その先生は陸上競技をやっていて「野球やってて運動神経もいいんだったら、陸上のいろんな種目から選んでみたら?」って言われて、走高跳をやってたんですよ。そしたら先生から「走高跳も跳べる、走るのも早い、力もあるんだったら、3種競技っていう混成競技があるよ」って教えられました。

3種競技にちょっと取り組んだら、全国大会に出るくらいの実力になりまして。3種競技の全国大会に出たのと同時期ぐらいに、体育の授業の時にやる砲丸投げっていうのもやってたら結構力がついてきて、異様に飛ぶようになったんですよ。「バネはある、100メートルも速い、力もついてきた。野球をやってたから地肩も強い。そういう人間は、高校に入ったら新たなジャンルに飛び込んでみなさい」って言われて、高校で出会ったのがやり投げでした。

そしたらいきなり県大会で上位の成績になったんです。「これは大変なことになったぞ」って周りから言われても、やり投げのすごさがわからないから実感がないんですよね(笑)。それでそのまま練習してたら、インターハイ、国体、ジュニアオリンピックにも出られたんです。高校の時に名前がわ~っと一人歩きして実力も上がっていって。そこから大学4年までずっと没頭していったのがゴールですね。

大学4年になって、就職活動もしなければいけないんだけど、オリンピックにもう少しで出れそうな記録も出ていたんです。「これ、出れるかもしれないな」なんて言いながら、いろんなテレビ局の方が取材に来てくださったりもしました。だけどそこからもう一歩自分には壁があって。「記録が伸びて行かないな」って時に、実業団からお話をいただいたんです。「実業団に入れば、あと数年後にあるオリンピックを狙えるかもしれない」って。でもその頃のオリンピックはノンプロの世界で。室伏広治選手なんていうのはそのあとぐらいからどんどん出て行った感じで……。

中村:室伏さんと親交あるんですよね。

照英:そうですね。同い年で、中学校のときから一緒に合宿していました。高校は自分は埼玉県で彼は千葉県の高校に通ってたんですけど、全日本の合宿でも出会いました。彼の身体能力はそのときから素晴らしかったです。大学に行ってからは、彼はハンマー投げで頭角を現し、自分はやり投げでトップにいたので「オリンピック目指そう」って言ってました。彼はそこから突出して行きましたけど、自分の場合、変な感じになってしまった。

「このまま陸上に進むか、それとも教育者になりながらオリンピック目指すのはどうだろう」って考えたんです。中高の保健体育の先生の免許だけ取得して、先生になるっていう道もつくりつつ。「でもこのまま先生……。陸上競技……。どちらも飽きちゃうんじゃないのかなあ」って(笑)。

大学4年生になる前に、もう1個「可能性があるかな」って考えたときに、『MEN’S CLUB』(ハースト婦人画報社)っていうファッション誌も結構好きだったんです。当時の日本のモデル界で流行っていたのが、中性的でユニセックスというか、女性的な男性がウケてる時代だったんですよ。そんなとき、ある海外ブランドの広告が雑誌の中に挟まってるのを見たんです。当時はマークさんっていう人が世界トップの男性モデルだったんですよ。女性ではナオミ・キャンベルさんとかシンディ・クロフォードさんとか、女性のスーパーモデルが脚光を浴び始めてる時代で。

その女性モデルの付録みたいに、横に男性が立ってるんですよ、裸で。みんななぜか裸で、筋肉隆々で、ボコボコなんですよ。「待てよ」と(笑)。「日本は女性的でユニセックスで細い人が流行ってるけど、このボコボコ筋肉でも戦えるんじゃないか」。「俺も筋肉がある。就職活動やってみようかな」って思いまして。

モデル事務所を探して。その時『De☆View』(オリコン・エンタテインメント)っていうオーディション情報の雑誌がちょうど流行ってたのかな?駅前の本屋さんに行ってペラペラ読んで、調べたところにいくつか送ったんです。だけどどこも、筋肉隆々の体の人を求めていないんですよね(笑)。

15社ぐらい送って1社だけ返ってきたのが、日本のトップコレクションの東京コレクションに歩かせるためのモデルを在席させる事務所だったんですよ。今もある「モデルエージェンシィ・フライディ」っていうところで、村上夢有子さんっていう女性の社長が声掛けてくれまして。就職活動代わりに電車乗って行ったら、「ちょっと脱いで」って言われて脱がされパンツ一丁になり(笑)。そしたら「ちょっと待って、あなたいけるかもしれないね」って(笑)。

権八:すごいね、それ。

照英:「今、陸上の試合もあって、陸上競技協会に入ってるので、世にバーンと出ることは難しいかもしれないです」って言ったら「いいじゃない、週1回でもいいからやれば?」って話になったんです。それからちょこちょこオーディションに呼ばれるようになって、すぐにぱぱぱぱ~って広告が決まったりして。顔が何となく分かるような分からないような広告が決まり始めたのが、スタートなんですよ。

釣りのポスターだったり、ツインリンクもてぎさんの最初の開業した時のCMだったり、長野オリンピックの長野ドームができた時の広告だったり。ほぼほぼ顔にはシャドーが入ってるんですけどね(笑)。「俺の筋肉どこいった?」ってぐらい米粒で写っていたりとか。そんなモデル活動と陸上競技とを天秤にかけながらやらさせてもらっていました。そしたらファッションショーや東京コレクションも歩けるような仕事を頂けるようになったので「陸上競技じゃない。ファッションで勝負かけてみよう」と思って、飛び込んじゃったんですよ。

次ページ「らんちゅう界のトップの人に会いに」へ続く

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