ブランドパーパス≠広告で伝えること。=ブランドとしての行動指針。
一方、優れたブランドパーパスの規定に成功し、それを伝えるための広告をつくったとしても、それだけで終わってしまっては意味がありません。そもそもブランドパーパスとは、その前提として「広告をつくる」ために存在するのではなく、「どんな商品をつくるのか」「その製造方法は」「売り方や店頭体験は」「どんなカスタマーサービスにするのか」など、ブランドとしてのあらゆる行動の指針になるものだと思います。
ブランドパーパスとブランドのコンテンツのアイデア、さらにコミュニケーションまですべての行動が一貫性を持って実行されている企業の事例といえば、アウトドアブランドのパタゴニアを挙げられるでしょう。
We are in business to save our home planet. Use business to inspire and implement solutions to the environmental crisis. (私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む。ビジネスを手段として、環境危機へのより良い解決策を実行していく。)
これが、パタゴニアのブランドパーパスです。パタゴニアではこのパーパスをもとに、素材や商品、売り方、利益の使い方、ブランドコンテンツの制作まで、見事に一貫したブランドづくりが成し遂げられています。
記憶にある方も多いと思いますが、パタゴニアが過去に行ったサンクスギビング・ブラックフライデーへのアンチ新聞広告やトランプ政権の減税措置によって得た10億円をすべて環境保護団体に寄付したことなども、単なる話題づくりでも何でもなく、根本のところでこのパーパスにつながっているのです。
正直なところ、ブランドパーパスに対する正しい理解は、国を問わず曖昧だと思います。私の日々の業務の中でも、「それってブランドパーパスじゃなくて、ただのブランド広告キャンペーンのタグラインじゃない?」とか「それってブランドパーパスじゃなくて、ソーシャルグッドキャンペーンじゃない?」と感じることが多々あります。
次の項目では、特にこの「ソーシャルグッドとの混同」について考えてみようと思います。
「それってブランドパーパスじゃなくて、ソーシャルグッドじゃない?」
すべてのブランドが、「その商品やサービスを通じて世の中を良くしたい」という想いから始まっていることを考えると、「ブランドパーパス」と、それと似て非なるものである「ソーシャルグッド」が混同して理解されてしまっていることも頷けます。
「Social Good(ソーシャルグッド)」。一般的に、「環境保護などといった社会的問題に“良い”影響をもたらすとされる活動や製品、サービスの総称」とされています。こう聞くと、たしかに両社には似通った部分が存在するように感じます。
しかし私が思うに、多くのブランドパーパスにはソーシャルグッド的要素が含まれるが、すべてのソーシャルグッドがブランドパーパスであることもないし、ソーシャルグッド的要素がないブランドパーパスもあると。ですので、ブランドパーパスが、いつでも「ジェンダー問題」や「環境問題」といったソーシャルグッドがよく提起するテーマを取り扱って、マーケティングツールに使われることには違和感を覚えます。
例えば、パーパスドリブンの文脈で取り上げられことの多いペプシのケンダル・ジェンナーを起用したキャンペーンがあります。僕は、これはそもそもブランドパーパスとはあまり関係ないと考えています。むしろ、ブランドパーパスとはかけ離れたところで、”黒人の命も大切(Black Lives Matter)”というムーブメントに安易に便乗し、免罪符的にソーシャルグッドを掲げたキャンペーンになってしまったからこそ、失敗したのではないでしょうか。
一方で、優れたキャンペーンとして世界中で数々の賞を獲得したニューヨークの金融街ウォール・ストリートに設置された少女像「Fearless Girl」はソーシャルグッドの成功例として話題になりました。
そもそもクライアントが投資会社のため、「自らのブランディングのため」に行ったキャンペーンではなかったのですが、その後、この投資会社が「女性やマイノリティーの従業員への不公平賃金」の指摘を受け、5億円の罰金を支払ったことが発覚しました。
この例からも分かる通り、ブランドパーパスは広告に限らずブランドのすべての行動において貫かれていなくてはなりません(一方、ソーシャルグッドにおいては、企業・ブランドのアクションとその実態との一貫性は、十分条件であり必要条件ではありません)。
ここでブランドパーパスとソーシャルグッドが似て非なるものだということが分かると思います。