LAの小さな会社、そこで3カ月の間に起こったこと
2月の第1週、私はとある撮影のため東京にいました。もちろんその頃にはすでに中国ではかなり感染は広がり、ニュースのメインにもなっていました。しかし、それでもまだ市民の行動には何の制限もなく、私も皆と同じように、いまのような状況になるとは微塵も想像していませんでした。まさに対岸の火事、だと。
ただ、行き帰りの飛行機の中ではいつも以上に多くの人がマスクをしていたのは覚えていますし、帰国後に都内と羽田空港の間を頻繁に行き来していたタクシー運転手が感染したニュースを聞き、少し心配になりました。また、当社は中国市場向けの仕事も担当しているのですが、こちらは1月末からストップに。これが、その当時の唯一のマイナスでした。
米国に戻った2月の2週目からしばらくは、ダイヤモンドプリンセス号のニュースがここLAでも頻繁に取り上げられていました。私の実家は横浜の大黒埠頭から近いこともあり、いつも以上に日本の家族とも連絡を取り合っていました。けれども、仕事面ではまだそこまで大きな変化はなく、いつも通りオフィスで仕事をしていました。2月後半にはサンフランシスコへの出張も予定しており、まだまだ心に余裕があったと思います。
風向きが変わりはじめたのは、3月の第1週目のこと。それまでは、新規感染者数も1日に数件だったのが、カリフォルニア州での検査数が増加したこともあり、1日に数十件以上の感染者が報告されるようになってきたのです。当社スタッフの間でもコロナウイルスの話題で持ち切りとなりました。また、2月末~3月頭までは、まだニューヨークよりもカリフォルニアの方が感染者数が多かったくらいで、「どうしてニューヨークは大丈夫なんだろうね」などということを同僚と話していたことをいまでも覚えています。
そして、3月の第2週から、事態は大きく動き出しました。SXSWやFacebookのディベロッパー向けイベントのキャンセルを皮切りに、さまざまな大型イベントのキャンセル・延期が発表となりました。また、シリコンバレーのIT企業などで、全社ルールとしてのリモートワークが開始に。当社としても、完全リモートワークへと自主的に変更したのが、3月10日のこと。もともとクライアントとのミーティングやプレゼンテーションのほとんどはビデオ会議で行っていたので、比較的な容易に移行できること、そして、このウイルスは感染しても無症状でいる人が多いということから、会社としてのリスクを少しでも減らしておこう、というのが狙いでした。
この「3月の2週目」が米国における大きな転換点で、このときに、それまでの「なんとかなるでしょ」という雰囲気から「これは本気で大変なことかも」と人々の気持ちが大きく動いたと私は思います。特に米国らしいといえばらしいのですが、俳優のトム・ハンクスが感染を発表したのと、NBAが今シーズンのキャンセルを発表したのが共に11日で、その日に街の空気が変わったのを肌感覚で感じました。「政治家の話よりも、結局ハリウッドスターとNBAの話が、米国では大事なんだ」という米国人の同僚の言葉が印象的でした。
3月13日からは1日単位で、いや、数時間単位で、社会が変化していきました。すべての学校の休校、集団での会合禁止、さまざまなお店の閉鎖などが相次ぎ発表され、最終的には3月19日にカリフォルニア州全体で“Stay at Home”命令が発令されました(ちなみに、公式では「ロックダウン」という言葉は使われていません)。
この命令の中で私たちに許されていることは、「スーパーへ日用必需品の買い物へ行くこと」「銀行、郵便局、病院、薬局などに行くこと」「公益性の高い仕事についている人が仕事に行くこと」「散歩やジョギングに行くこと(公園やビーチは全部クローズ)」という必要不可欠なことのみで、友達や同居していない家族に会うことなども禁止されています。そして、これらの必要不可欠な用事のために外出するときも、他人との2mの距離を保つ「ソーシャルディスタンシング」が徹底されています。
その後の1カ月の全米でのウイルス感染の急速な広がりは、皆さんもニュースでご覧になったことでしょう。特にニューヨークはひどく、友人やクライアントの方も感染してしまい、心が痛むばかりです。仕事はリモートワークでこなしてはいるものの、当然ながらプロジェクトや撮影の延期もあり、まだまだ先の読めない毎日を過ごしています。また子供たちの学校も今年度はおそらく再開しないので(米国の学校では、夏休みは6月の半ばから。なので、3月半ばから8月一杯までは学校は一切なし!)、子供の教育への心配は大きなものです。
カリフォルニアは、そもそも車社会であること=人との接触が少ないことや、“Stay at Home”命令を出したのが他州よりも早かったことで、NYのような大爆発にはいまのところ至っていません。それと、ロサンゼルスの天気が良いのが何よりもの救いです!皮肉なことに、このロックダウン状態になってからの1カ月でロサンゼルスの大気汚染は一時的に改善され、この50年で一番空気の綺麗な日々が続いています。それでももちろん、1日でも早く通常の生活へと戻れることを願ってはいますが…。