ブランドは、何を語り、どんな行動を起こしたのか?
さてここからは、この3カ月の間に、企業やブランドがどのようなコミュニケーションを展開し、行動したのかについて振り返ってみたいと思います。
私が最初にコロナウイルス関連で目にした広告は、さまざまなブランドがそのロゴに手を加えることで、「ソーシャルディスタンシング」の重要性を訴えるものでした。日本でもSNSでシェアされていたので、みたことがあるかと思いますが、ロゴを形成している文字や要素の間隔を広げたビジュアルを使ったものです。面白いアイデアではありましたが、正直に言って、「そんなことはわかってるから、それより他にやることあるでしょ」という声が多く聞かれ、あまり良い評判ではありませんでした。
それとほぼ同じ時期にニュースで見聞きしたのは、多くのブランドが、不足している医療従事者向け防護具の生産に乗り出したことでした。LVMHなどの香水会社や、酒造メーカーによるアルコール消毒液生産。ZaraやGAP、Barbour、New Balanceなどの医療用マスクやガウン生産。ダイソン、GMなどによる人工呼吸器の開発と生産など、彼らの起こした「アクション」は非常に好意的に受け止められましたし、この苦難に総動員で打ち勝っていく強い意志を感じました。前回のコラムにも共通するところがありますが、「伝える」ことよりも「動く」ことが、ブランド力の強化には大切なんだということです。当たり前のことではありますが。
少しすると、テレビCMにも変化が出てきました。まずはすでに制作された映像に違うメッセージを加えたものが放映され始めました。例えば、自動車メーカーのテレビCMでは最後に「リース契約の最初の3カ月は一切払わなくて良い」という新サービスの告知が加えられていた他、ファストフードチェーンでは、デリバリーやピックアップを訴求したメッセージに変更されていました。
その中でも、暗いニュースの合間に見るCMとして、バーガーキングの「家でワッパーを楽しむ」ことを面白おかしく訴求したものや、ドミノピザの「人手が足りないのでもっと雇用してます!」というCMは、暗くなった気持ちを明るくしてくれるものでした。
英語で「Tone-deaf」という言葉があります。直訳すると「音痴」という意味です。「空気が読めていない」というような意味で使われることも多く、例えば、世の中の空気が読めず炎上するような発信をしてしまう人や企業への言葉だったりする。もちろん、こんな状況下なので、誰かを傷つけたり、品位がなかったりするような「Tone-deaf」な広告はすべきではないですが、そうでなければいままで通りの広告を放映し続けるのは、私は賛成です。
ひとりの消費者として、そのような広告は、暗闇の中に見える小さなロウソクの炎のように、気持ちを前向きにさせてくれるものでした。街もお店も一変してしまった世の中で、いつも通りの広告が流れているのを見ると、少しホッとする自分がいるのです。
その後2週間も経つと、ようやくコロナウイルス拡大後に一から制作された広告を目にするようになりました。NIKEやApple発の広告は、過去にストックされた映像や、リモートワークで家の中から出られない環境下で撮影された素材を使うなど、いまの人々の生活を巧みに映し出しながら、それでも前向きに進んでいこう、というメッセージが心に響きます。これからしばらくは、「スタジオや屋外で撮影しないもの」「アニメーションを駆使したもの」といった条件の中で、いろいろな手法にチャレンジした広告が出てくるのだと思います。
一方で、それらの表現に対して、「どれも似たような表現になっていて、つまらない」といった批判や記事も目にしたりします。その気持ちはわかるのですが、私はあまり批判する気持ちになれません。なぜなら、すべてのチャレンジやアクションに敬意を持ちたいという気持ちが、いまは強いからです。
おそらく全人類が、これまで体験したことのない世界を生きています。それはつまり、先が読めず、誰もが“完璧な答え”を出せない、出しづらくなった世の中だ、ということです。政治家も、経営者も、細菌の専門家さえも、間違いなく、多くの人がミスをします。しかし、それでもなお挑戦する。だから、いちいち立ち止まって文句言ってないで、反省しながらも、とにかく前に進むしかない。いまは他人の揚げ足を取っているよりも、そう考えるのが一番良いのかな、と思う、今日この頃です。
それでは、また次回のコラムで。