ウィルスという「敵」と「戦い」ますか?
社会に大きな変化がある時、社会で使われる言葉にも大きな変化があらわれます。第二次世界大戦以降、コロナ禍ほど世界レベルで言葉の変化にインパクトをもたらしたものはないでしょう。
4月16日、安倍首相が新型コロナウィルス感染症の世界的な拡大に伴う混乱について「第三次世界大戦」と表現していたことが報じられました。
アメリカでは国家緊急事態宣言から9日後の3月22日、ドナルド・トランプ大統領が「私は戦時下の大統領です(I’m a wartime president)」と記者団に話しました。アメリカ大統領のこの認識が、日本の首相の認識に影響がなかったかどうか。
それに先立ってフランスのマクロン大統領は3月17日の段階で「我々は戦争状態にある(Nous sommes en guerre)」と述べました。
一方、ドイツのメルケル首相はコロナ禍の状況を第二次世界大戦以降最大の危機だとしながら、戦争に喩えることは慎重に避けています。同じドイツのシュタインマイアー連邦大統領は「これは戦争ではない。国と国や兵士と兵士が戦っているのではない。人間性が試されているのだ」と直裁に言いました。
このようにコロナ禍を戦争に喩えるのをやめようという言説も世界中で数多く見られます。
アメリカの良心と知性を代表する批評家と呼ばれたスーザン・ソンタグは1978年に出版した著書『隠喩としての病い』の中でこのように書いています。
「公衆衛生教育の分野ではまだおおまかな隠喩が残っていて、たえず病気が社会を侵略するという言い方がされ、病気による死亡率を低下させる努力が戦い、闘争、戦争と呼ばれる」
スーザン・ソンタグは1978年の時点では結核について、その後1988年にはエイズについて、それぞれの感染症が戦争で喩えられることについて鋭く分析しています。感染症の原因となる病原体がルイ・パスツールやロベルト・コッホによって発見された1880年代以降、細菌やウィルスを「敵」として、それらと「戦う」というイメージが多くの人の脳裏にかたちづくられていったと想像できます。
日本でも海外でも、戦争や闘争に喩えて「コロナに打ち勝とう」というメッセージがある一方、「コロナが人類に何かを教えてくれているはずだ」と協調性を見出そうとするメッセージもあります。戦闘的であっても協調的であっても、いずれもコロナ禍で生み出された人間の認識で、コロナの解釈は無数に存在します。※3
世界のコミュニケーションの言葉は今
「言語は宇宙から来たウィルスである(Language is a virus from outer space)」。作家ウィリアム・バロウズの言葉です。
ロンドン大学キングス・カレッジの言語コンサルタントを務めるトニー・ソーン氏は、新型コロナウィルス感染症にまつわる新語や造語は1,000を超えると4月22日の時点で語っています。ちなみに彼自身のお気に入りは“locktail”という造語。ロックダウン(lockdown)中である彼の住むロンドンで、外出を自粛している自分へのご褒美として日が暮れてから飲む一杯のカクテル(cocktail)のこと。
ロシア文学者の越野剛氏はドストエフスキーの長編小説『悪霊』で1830年にロシアで流行したコレラが隠喩として数多く描かれたことを紹介しながら、「不正確な言葉の感染を通じて、免疫のように新しい言葉が得られる」※4 と書いています。
これからも徐々に、新しい単語、言い回し、論調などが様々に語形やニュアンスを変えながらバイラルに広まって、世界の人々の新しい認識をかたちづくっていくと考えられます。
これからの世界のコミュニケーションに大きく関わる言葉の現在について、本連載では次回から“ウィズコロナ”と“ポストコロナ”に分けて、主に海外のニュースやソーシャルメディアから事例をご紹介します。