I can’t breathe. 息ができない。
抗議運動が全米へと広がったその週末、イーロン・マスク率いるSpace XとNASAによるアメリカとしては9年ぶり、民間企業としては史上初となる有人宇宙飛行が、無事成功しました。本来ならば、アメリカ中、いや、世界中が興奮と希望に溢れかえっていたことでしょう。しかし正直に言って、今回だけは、そのアメリカ的ポジティブパワーも、絶望と怒りのネガティブの力に吸い込まれてしまった気がします。
今回の出来事の中で、改めて言葉の力を実感する場面が幾つかありました。なかでも、ジョージ・フロイドさんが息を引き取る間際に発した言葉であり、抗議デモのスローガンにもなった「I can’t breathe」は強く心に残りました。
この言葉には、もちろん物理的に呼吸ができないということもそうですが、これまでに迫害を受けていた生活への息苦しさ、その我慢が耐えられない領域に達してしまった彼らの心情を表していように思います。しかも、パンデミックによってロックダウンされ、職を失い、マスクの着用を強いられている最中に、こんな仕打ちを受けてしまう現状への断末魔の叫びが、この一言には込められているように感じました。
その他にも、「Black Lives Matter」ならびに「All Lives Matter」という言葉の意味するところにも、多くを考えさせられました。「Black Lives Matter」という言葉に対して、他の人種の人々からは、「アフリカン・アメリカンだけでなく、アジア人も貧困な白人たちも、すべての人間の命が大切だ」という主張があり、その結果「All Lives Matter」という言葉に代用されることがあります。一見、この主張は、正しいように感じられるし、誰も否定できない強さがあります。けれどもこの話法は、問題の“根本”を曖昧にし、そもそもの問題の解決を遠回しに拒否することにつながってしまいます。
この問題が抱えている大事なポイントは、「他のLivesはすでに保護されている。それなのに、BlackのLivesだけが不必要に奪われている。それは間違っているし、直さなければならない」ということです。それに対して「すべての命は大切だ」という主張で覆い隠すことは、あってはならないことだと思います。ちなみに、このような主張を被せることを、「Bothsiding」または「Bothsidesism」と言われ、「偽りのバランス」をとることで、問題をうやむやにすることに使われます。今回の例でいえば、すでに保護されている「他のLives」にも言及することで、「アフリカン・アメリカンのLives」の権利、その主張がうやむやにされてしまうことを意味します。
これらの言葉以外にも、新型コロナウイルスから始まったこの半年の間に、2020年は様々な言葉やフレーズが生まれました。そしてその中には、単なる流行語の域を超えて、これからの生活や未来を指し示す多くの新しい価値観が含まれているはずです。