東日本大震災で実感した、現代におけるラジオの役割
権八:だんだんとちょっと話しにくいテーマになってくるんですけど、やっぱり僕も同じように、2011年にそう思いましたね。
吉田:あれはデカいですね。
権八:あれから。
吉田:僕はあのとき、本当に死んじゃうと思ったので。朝の6時から8時半の番組を月・金でやっていて。その報道チックな番組を終えて自宅に戻ったお昼過ぎの僕ひとりのときに、あのデカい地震に遭遇するわけです。自分の家が完全に壊れちゃうなって思うくらいの揺れで。まあ、みんなそうだったと思いますけど。
猫と犬がいるんで、まず助けないといけないなと思ったんですけど、猫はもうどこにいったか分からないですね、ああいうときは。犬は玄関先にリードでつないでいるんで、犬を表にまず出さないといけないなって。それを決心するまでに2、3分かかっちゃう自分がいて。やっぱり、いざっていうときには、人間って完全にダメなんだなって。崩れちゃっていたら、あのまま死んじゃうっていうパターンですから。
それが運よく助かって、表に出ると、まだ電線が揺れていると。家族は3人なんですけど、息子と女房が表に出ていて。2人の生存を確認して、「ああ、よかった」って思って。テレビを見て、最初はどうってことないんだけど、地震のニュースが色々と出てくるなかで、津波の映像がそのうちはじまっちゃうわけでしょ。あれを見たときに「これはとてつもないことが起こっちゃったんだな」ってことに気づいて、その後に本当の真実を知るまでにえらい時間かかりました。
やっぱり国も情報を隠していたし、そのなかでニュース的な番組をやっている人間としては、何かを報じていかなくちゃいけないわけだけど、材料がない。1年前くらいから、たまたまやっていたTwitterを見ると、フリージャーナリストの人や福島に住んでいる方々の発信を見ると、様子がつかめてくるわけじゃないですか。でも、テレビや新聞は何か核心と外れているような。情報をなかなか出さなくて。
あのときに、大きい組織が意外と役に立たないんだなってことに気づくわけですよね。やっぱり個人の力だなと。真実を伝えてくれる個人が世の中にはいっぱいいて、どれが本当なのかを自分なりのアンテナで拾って、なんとなく全体像を掴んでいく作業をしないと、ニュースにもたどり着けない。そういう経験をしちゃったから、あれからすごく懐疑的になりましたよね。
権八:そうですね。今も本当に似たような状況に。
吉田:完全にそうですね。本当に未曽有の出来事ですね。やっぱりラジオは本当のことを伝えるべきメディアだと思うんですよね。個の力を最大限に発揮できうるメディアだと思うから、その個を大事にしてくれるメディアでいてほしいと思います。
個をつぶしちゃうとロクなことがないと思うんで。ひとりの個が変なことを言っていたとしても、その意見は意見として、聞いてくれる世の中が僕は正しいと思うから。今はそれを力でつぶそうと思う人たちが増えてきちゃった。それが、ちょっと怖いなと思います。
権八:テレビでも、頑張って発信しようとしてくれてた人が次々と出なくなっちゃって。
吉田:そうですね。結局、後でそういうのはすべて清算されると思いますけどね。
権八:そうなんですかね。
吉田:清算されないで、このままずっと続いていくとしたら、今はあんまりいい時代ではないと思うから。みんなネットで見ていたと思いますけど、品川駅の構内をマスクしている人たちがワーって通勤する姿を「もうディストピアだな」って思って。今はああいう世の中なんだなって思いますよね。
それを何とかするにはどうしたらいいのかっていうことなんだけど、なかなか大変な状況ですよね。そのなかでも真実はいっぱい転がっているから、それをすくい上げていくのが、マイクの前に立つ人の仕事のような気はするんですけどね。
権八:面白いこととか、くだらないことをやれる楽しさって、世の中の土台がしっかりしていないと。
吉田:そうなんです。それができにくくなったということは、世の中が今そういう状況だって、逆に再認識できると思いますけどね。みんな好きなんですよ。楽しいこととか、バカなこと、くだらないことって。それが息抜きになったりもするわけなんだけど、今は息抜きが難しいですよね。まして、今この状況で、みんな巣ごもりしないといけない感じになっちゃってますからね。