本記事は9月1日発売の『広報会議』ソーシャルメディア特集の一部です。
シャープ公式Twitter運営者
山本隆博(やまもと・たかひろ)
フォロワー数83万を超えるシャープ公式Twitterを運営するシャープ社員。第50回佐治敬三賞、2018年東京コピーライターズクラブ新人賞など。マンガ家コミュニティ「コミチ」でコラム連載も。
コピーライター
橋口幸生(はしぐち・ゆきお)
電通 コピーライター。代表作はスカパー! 堺議員キャンペーン、劇画 鬼平犯科帳25周年記念動画「鬼へぇ」、ANA、FRISKなど。TCC会員。ギャラクシー賞、グッドデザイン賞、ACC賞ゴールド、スパイクスアジアなど受賞多数。著書に『言葉ダイエット』。
「読んでもらえる」前提を捨てる
山本:橋口さんの『言葉ダイエット』、面白かったです。責任逃れしたいときほど、過剰に敬語を重ねて、読みにくい文章になる。そのことが、やさしく解説されていて(図1)。Twitterだと言葉をダイエットできても、メールやプレゼン資料になると、途端に書きすぎてしまう。これは根深い問題です。
橋口:本で書きたかったことを一言でまとめると、山本さんが採用ページについてツイートした内容になるんです(図2)。美辞麗句で人の心は動かない。でも、なぜか仕事で文章を書くとなると、漢字・カタカナ連発の上っ面な言葉になりがちなんです。自信がないときほど「内容を伝える」より「ビジネスっぽい体裁に整える」ことを優先してしまう。そこに一石を投じたくて本を書きました。
山本さんは、今のTwitterスタイルにたどり着く前、プレスリリースをリライトして投稿していたと聞きました。でも薄っぺらな言葉は伝わらない。この問題意識は、僕たちが共通して持っているものだと思います。
山本:僕はもともとマス広告の宣伝を担当していた時期が長かったんですが、広告主の側にいると無意識に、こちらの伝えたいことは全部聞いてもらえるような感覚に陥るんです。そもそもまず、代理店の方たちがクライアントの話を熱心に聞いてくれる。そして広告の枠を買って出せば、一定数の認知や反応は返ってくるとされていますから。でも現実は、広告は無視されがちですし、見られても嫌われやすい。ましてやSNSでは、拡散なんて程遠いし、第一フォローなんてしてもらえない。
そもそも友人知人と好きなものでTLが構成されるSNSでは、企業アカウントをフォローする義理はないわけです。「なぜ、自分の文章は伝わらないのか」と悩んでいるなら、そもそも相手は「自分の文章を読む筋合いがない」というところから考え始めないといけないはずです。マイナス地点からスタートして言葉をつくる。それには「読んでもらえる」と考えてしまう“クセ”を直す必要があるんですが、それが意外と難しい。
橋口:新人コピーライターも「広告なんて誰も見たくない」とまず叩きこまれますね。「相手が全部読んでくれる前提でいる」という山本さんの指摘は、日本全体のコミュニケーションの問題だと思っています。
最近だと、給付金の案内。必死に読み込まないと、何を言っているかわからない。でも、給付金が必要な人ほど、読み込む余裕はないと思うんですよね。僕は、相手の心理を汲み取るのが苦手で、遠回しな言葉で言われると、本気で理解できません。日本の組織で活躍する人は共感力が高いから、複雑な長文でも通じてしまう。本当は「言葉ダイエット」をして、誰でも理解できる文章にしたほうがいいはずです。
山本:責任逃れの言い回しを積み上げていくと、ていねいで正しいけれど、既視感のある物言いになります。つまり誰が言っても変わらない言葉になるということ。代替可能な文章に、誰も聞く耳は持ちません。
小学校の朝礼の校長先生の話って、ほとんど誰も聞いていないですよね。「夏休みは宿題を計画的にやれ」とか「3学期は短い」とか、既に知っていることを同じ言葉で同じ話法で話すから、聞いている側は次に何が来るか予想できてしまう。それと同じで、企業の文章も、言葉使いや構成に既視感があると、もう読まれません。読んでいるけど素通りする。
橋口:僕はコピーライターになってから「誰でも知っていることを、格好つけた言い回しに換えるだけではダメだ」と教わりました。例えばテレビを広告するとき「圧倒的な美しさ」と言っても伝わらない。開発された映像エンジンの性能とか、具体的なことを書いたほうが読みたくなります。
本にも書いたのですが、面白いとは、発見がある、ということ。先ほどの校長先生の話も、校長になるぐらいの人なら人間的に面白いところは絶対にあるはずです。でも、その人自身でなく、校長として話すと、人格のない言葉になりがちです。仕事の文章も、少し自分に引き寄せて書けば、変わってくるはずです。
主語を小さくする
山本:主語が「私は」じゃなく「我が社は」になると、読み難いんですよね。そこをなんとか「社員である私は」ぐらいまで引きずり下ろした文章に書き直すことが、SNSでは必要だと思ってやってきました。広報部門が発信する文章だって、「開発チームは」ぐらいまで、主語を小さくできると思います。
主語をパーソナルな方向に見直すことは、橋口さんの言う「具体的に書く」に通じるはず。主語をパーソナルにしすぎると会社から怒られることもあるでしょう。でも読まれたいなら、踏み込む勇気は必要です。
僕が、いわゆるテンプレツイートをやめて、人格のある投稿に変えたのは、数千人のリストラが報道された時(図3)。不安が漂う会社の中の雰囲気を言ってみようと「今日は眠れるかな」とツイートしました。それが大いにリツイートされ、内側のものを外側に提示することがコミュニケーションのきっかけになると気づきました。
橋口:僕も企業スローガンやステートメントを書く時、時間をかけて企業のいろんな部署の人と話して、企業の人格みたいなものを意識します。あるメーカーで取材したときは、優しくて紳士的な人が多かったので、従来のクールなステートメントを、丸い雰囲気に変えました。「卓越した先進性のあるグローバル企業」みたいな自己紹介より、普通に使える言葉にしませんか、と相談しながらつくったところ評判が良かったです。
山本:企業が自然な自己紹介をするには、外側からの視点が要ります。僕は「シャープ社員を半分辞めた立ち位置でツイートしている」とよく言うのですが、会社からはみ出た分だけ、外側から会社を冷静に見られるし、同時にメッセージを届けたい人との距離も詰められます。
橋口:山本さんは「八百屋さんの軒先で、店の前を通る人としゃべる」感覚でツイートしているそうですね。この話を聞いたとき、「シャープさん」としてアカウントで実践されていることが、すごく腑に落ちました。
山本:シャープという母屋は巨大ですが、僕が運営しているアカウントは、商店街の店ぐらいの気分でやっています。馴染みのお客さんをつくって、通りがかりの人と世間話をしながら、何かを買っていってもらう感覚です。これをデジタルマーケティングの話に置き換えてしまうと、店の前を通りがかる人をなぜコンバージョンさせないのか、となる。
だけど僕からしたら、通りがかった人を呼び止めて、いきなりキャベツを売りつけるのは、狂った行為にしか思えない。八百屋さんなら「今日は暑いですね」と世間話しながら、キャベツが欲しければキャベツをお出しするし、ニンジンが欲しければ、今日のニンジンいいですよ、とおすすめするわけで。そういう等身大の振る舞いをずっとTwitter上で続けているだけです。