味覚障害に呼吸困難にも…実録コロナウイルスの恐怖
澤本:今のニューヨークはどういう感じなんですか。
清水:今は“ロックダウン”の状態。不要不急の仕事では外に出てはいけないし、職場に地下鉄やバスに乗って行くことも許されません。ただ、街に出ると、買い物や食べ物を調達しに出かけている人だったり、運動するために公園に出かけている人は結構いました。4月29日時点では、外にでると「結構人いるぞ」という意識があります。
澤本:そうなんだ。
清水:マスクをつけている人なんて誰もいなかったニューヨークでも、みんなマスクをつけている状況ですが、意外に人が多いなというリアルな感覚はありますね。
澤本:最初に「罹ったかな」と思ったのは、寒気からなんですか。
中村:風邪やインフルエンザとは、やっぱり違いましたか。
清水:いや、これが違いはなくて。発症したときは、喉がいがらっぽいとか、熱があったりするだけなんです。19日には40度の高熱が出て、こういう時期だから「まさか」とは思ったんですけど、実際問題として風邪との区別はあまり分かりません。
例えば、子供3人や妻とは隔離……というか、自分の部屋にこもって暮らすようにしたりと注意はしていました。5日間くらいは「もしかしたら普通の風邪かな」という可能性も残しつつ、経過を見ていた感じでした。
中村:そこから「これはちょっと違うぞ」となったんですか?
清水:ずっと匂いと味覚がなくなる感覚がありました。言い方が適切ではないかもしれませんが、キャラが強いというか、特徴的なんですよね。
中村:ああ…‥なんか怖いね。
清水:鼻が詰まったり、鼻炎っぽくなったりして匂いがなくなることはあると思うんです。ところが、今回は鼻が完全に通っていて、呼吸もまったく苦しくない。けれど、匂いだけとにかくしないんです。熱を出している間にハンドソープを買い替えたんですけど、「無臭の買ったんだな」って思っていたくらいで。
味も非常に単純化されて、みそ汁を飲んでいても塩水を飲んでいるような感じ。コクとか香りをまったく感じなくなっちゃって。実はその段階で、「なんかおかしいな」「こんなの経験したことないぞ」と思ったんですが、このときはまだこれらの症状が新型コロナウイルスの特徴として報道されていなかったんですよ。
ひどい熱を出して、3日、4日あとに『ニューヨーク・タイムズ』に、新型コロナウイルスの特徴的な症状として匂いがなくなるという記事が出て、「やっぱりそうなんだな」と。
権八:そう思いますよね。
清水:記事に、鼻が通っているのに全然匂いがしないとか、味が単純化されるということがすべて書いてあって。自分の場合はドンピシャだったので、そこで確認できたという感じでした。
澤本:味覚とか嗅覚がなくなるっていうのは、熱が出てからですか。
清水:熱が出てからですね。ただ、私の周囲には病勢が進んでいる方もいらっしゃって。熱はまったく出ていないし、ほかの症状もないんだけども、匂いだけなくなっている方もいらっしゃる。
澤本:幹太さんも呼吸困難な感じがあったんですよね。
清水:ありました。
澤本:どういう風に? 急になったりするんですか、やっぱり。
清水:急になりました。
澤本:怖いよね。
清水:熱が出てから1週間後くらいで悪くなるとは分かっていましたし、突然悪くなることがあるとも聞いていました。そうしたら、オンラインで東京とミーティングをしている途中に息が苦しくなってきて、喋れなくなっちゃったんですよ。息切れしちゃってつらくって。
それからはトイレに行っても、自分で立っていられないくらい呼吸がつらかったり。血液に酸素が届いていない感じがありましたね。
権八:今は冷静に淡々と語られていますけど、ブログの文章を読むとそのときの恐怖が鮮明に書かれていて……。震えながら読んでいたんですけど、当時はどういうお気持ちだったんですか?
清水:やっぱり、すごく恐怖があるんですよ。呼吸困難になってそのまま呼吸ができずに亡くられてしまう方もいらっしゃるっていう報道もあったので。
中村:そこですよね。
清水:2日後3日後にどうなっているのか予測がつかないのは、怖かったですね。「ここから悪くなっていったらヤバいな」という思いもありました。
澤本:そのときは医者に連絡はしないで、家にずっといる感じなんですか?
清水:連絡はしていました。ただ、その時点でニューヨークの医者はオンラインで、電話だったりアプリを介して診療することになっていました。症状を伝えたら「うんまあ、これは感染しているんだと思うよ」と言われましたね。
澤本:すごい軽く。
清水:はい。
澤本:そのとき、どういう指示が来るんですか。
清水:すごく平たく言うと「がんばれ」ってことなんですけど。
一同:ハハハ。
清水:つまり、「このままよくなっちゃう人も結構な数がいるから、よく寝てよく食べて、悪化したらまた連絡ください」という感じでしたね。少なくとも、「すぐ検査をしよう」みたいなことにはまったくならず。
今なら総合病院や近くの病院で検査を受けて、おそらく酸素吸引だったりの話にはなるはずですけど、当時は検査のリソースの問題もあったと思います。
「今はニューヨークの病院はどこも野戦病院状態で、手厚くケアしてくれるわけでもないし、総合的なクオリティ・オブ・ライフを考えると家にいた方がましかもよ」とは、医者に言われたんですよね。「家から離れてしまうよりも、いた方がいいかも」って。
「その判断は任せます」という感じでしたが、そのときは妻も熱を出していたので、「親が2人とも家を離れることになってしまったら、ウチはどうなるんだ?」というシミュレーションもあり、結局家にとどまりましたね。
権八:つらいね、これは本当に。
<後編につづく>