20世紀半ばに生まれた広告と音楽の「右脳」黄金時代
時代を現代に戻すと、20世紀の芸術はモダニズムと言われ、19世紀に比べると抽象化が極端に進んでおり、これは言うまでもなく左脳優位の文化といえます。左脳と右脳の芸術的な判断は、直観的に理解できるかどうか、というものであり、もはや20世紀のモダニストたちの芸術作品は、直観的に理解するのは不可能です。美術館で必ずしもモダニストたちの作品が好まれず、19世紀の印象派の人気が高いのもうなずけます。それは明らかに19世紀のロマン主義の文化のほうが直観的に理解しやすい右脳的な芸術だからです。
実はこのような左脳と右脳の変化は、20世紀の大衆文化、メディア、広告の時代にも関係があります。前述のオーランド・ウッド氏は広告の黄金時代であった20世紀の1960年代から80年代に比べると、21世紀の直近10年の文化やメディア、広告は明らかに左脳化していると指摘します。文化の右脳傾向は、音楽の発展と隆盛がひとつの特徴です。バロック時代にバッハが生まれ、その後ロマン派から印象派までの音楽の発展は右脳化のあらわれです。広告の黄金時代にはビートルズやロックの様々な音楽が生まれ人気を博しています。
21世紀のメディア文化・広告は左脳化
しかしながら21世紀になると、文化の発展に多様性は失われはじめ、「繰り返し」が多くなります。繰り返しは言うまでもなく多様性が右脳化の傾向であるのに対して、左脳化の典型的な兆候です。オーランド氏は1960年代から2015年までの55年間のヒットソング上の歌詞に現れる言葉が、繰り返し使われていることをデータで示しており、その比率は1960年代には5割を切っていたのが、2010年には6割にも達しています。
このような左脳化傾向は、映画でいえばスター・ウォーズのようなシリーズ物やフランチャイズが増える傾向にあり、またテレビ番組でいえば、ドラマやシチュエーションコメディのような番組よりも、ドキュメンタリーやリアリティーショウ、スポーツ番組などの事実や現実をもとにしたものが増えることと同様です。オーランド氏が提示するデータは英国のものですが、この感覚は日本も同じように感じます。
合わせて同氏は広告クリエイティブ自体が左脳化傾向にあることを指摘します。それは右脳的なユーモア、音楽、表情やニュアンス、人物キャラクター、ストーリー性よりも、客観的事実やモノ中心、言葉が中心で、視覚的にはフラットなものが増えているという事実です。
広告が嫌われモノになる本質的な背景
しかしこのような状況が表層文化的な違いよりも深刻なのは、境治氏が指摘する以上に「広告が嫌われモノ」になっているという要因がいくつかあるからです。
1. 左脳化した広告の広告効果が長期的にみて低下しつつあること
2. 広告業界の人間の価値観が一般の人々と離れてきつつあること
3.広告業界のビジネスが左脳化してプロセス管理と分業制が推進されていること
4. デジタルが中心となり左脳的に短期的な成果が優先されつつあること
5. クリエイティブ表現に直接的で短期的なインパクトを求められていること
実は、境氏が「金儲けのツール、欲望を喚起するためだけ」ということで推進されてきた広告の嫌われる問題とは、上記のような広告業界全体の社会的な背景の変化が大きく影響しているのです。
金儲け、つまりビジネスを優先するあまり、クリエイティブ表現がマーケティングメッセージを合理的に伝えるものもしくは関心を集めるためだけの短期的インパクトに終始し、ユーモアやニュアンスが重要な娯楽性が失われます。広告制作が自動化されて作業化されていきます。これはインターネット広告が典型的ですが、テレビ広告でも表現が単純化しフラット化したためでもあります。
そしてその背景には広告ビジネス自体の収益性が下がり、短期的な成果や生産性を重視するあまり、以前のようなクリエイティブの人々に許された自由度がなくなったことにあります。その結果、すぐに数字が出るようなABテストを多用して効率を重視するようなビジネスが中心となります。これを広告ビジネスの合理化や近代化と呼ぶ人もいますが、オーランド氏はこの傾向はクライアント企業の近代的な経営でCFOの声が大きくなればなるほど(間違って)推進されて、短期的な財務諸表を優先した成果に歪められ、本来広告が目指すべき長期的な視点によるROIを結果的に減じていると指摘します。
この影響はもちろん広告会社で働く人々にも及び、オーランド氏は結果的に広告業界で働く人材の価値観が一般の大衆とかけ離れつつあると警鐘を鳴らします。これでは最高の才能が集まらないばかりか、ますます広告の表現が人々から嫌われる方向に移ってしまいます。このような点は境氏が取り上げていたブログの筆者にも指摘できるでしょう。彼はデジタルの成果だけを求める広告作りが「ゴミ」のように感じて嫌気がさしてやめてしまうのですが、そもそも「広告が意味のある交換を生み出す」感覚を最初から持っていない広告業界の人間は増えるばかりだからです。