テレビ局のアルバイトで鶴太郎さんに見出され、芸能界へ
澤本:松村さん、テレビ局でバイトしていらっしゃったんですよね。芸能界もそこからなんですか?
松村:そうですね、もともと芸能界に入りたかったんですけどね。大学生の時に、テレビ局のアルバイトで潜り込めないかなあと思って、フジテレビ系列の福岡のテレビ西日本で、カメラのケーブルさばきのアルバイトをやってました。
澤本:へえー。
松村:そこで(片岡)鶴太郎さんに出会ったというのが、大きなきっかけになりました。
澤本:それはどういうふうに声をかけていただいたんですか?
松村:ちょうどフジテレビ系列で、『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』(現:FNS27時間テレビ)っていう番組があったんです。その番組で鶴太郎さんが福岡の小呂島に来られた時に先輩が、「ケーブルは俺がやってやるから、お前鶴太郎さんに会いに行って来いよ」って。
鶴太郎さんに会いに行った時に、(ビート)たけしさんの声で「どーも鶴太郎、馬鹿野郎、鶴太郎」ってバカだから言っちゃったら、鶴太郎さんが「お前、素人のモノマネ大会に出ていたやつじゃないか!?」って。ちょうど1カ月前に出場したフジテレビの『発表!日本ものまね大賞』を鶴太郎さんが見られていて、「お前見たことあるぞ!お前モノマネうまいよー!」って言ってくれた。
その後もフジテレビのスタッフとかに「こいつうまいんですよ、モノマネが!」って。言っても誰も僕のこと知らないんですけど(笑)。その後それがきっかけで声をかけていただいて。鶴太郎さんが所属されている太田プロに入れていただきましたね。
澤本:初期の頃にやっていらっしゃったモノマネは、やっぱりたけしさんですか?
松村:たけしさんとか、古館伊知郎さんとか。『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ、1968年~1990年)があったんでね。「さっ、というわけでハウンドドッグの登場です。ミスター大友イエイ!」ってやっていたんです。
一同:(爆笑)。
権八:僕は、初期の頃の掛布さん(元阪神の選手で野球解説者)の印象がすごくあります。
松村:掛布さんは、でも26、27歳ぐらいから。たけしさんと声質が似ているので、たけしさんの声で「おい!なんかうるせえよ馬鹿野郎ってゆうね、俺はね、ああいうこと思ってはいないんだけどね、あれなんだよ芸人ってのは、そういう形でやっていけばですね~……」
一同:(爆笑)。
松村:「まあそのー、野球の中で阪神の中で今年大山くんが非常にそのー、バッティングを見ましてですね、かなり読売ジャイアンツの岡本君のように、パワーが違う!こういうことを非常に感じましたんでね、エースと4番の対決っていうのは見たいですね……」
中村:終わらない(笑)。
松村:「バントエンドランっていうのは非常にいいんですけれども、そこは4番とエースのそういった試合っていうのは今寂しい形になってますので、それは僕は見たいなと思いますね。ピッチャーの継投策もいいんですけど、先発ピッチャーっていうのはある程度やっぱり試合を投げれるですね、ピッチャーになってほしいですね。最後まで完投できるピッチャーっていうのは僕は面白いですね。江川くんも僕もそうでしたし……」
一同:(爆笑)。
権八:止まんないね(笑)。
松村:止まんないです、はい。