2時間目:同じ隅田川花火について、4つの新聞社が書いた記事の、違いを比べる授業。

【前回コラム】「1時間目:「1週間が8日に増えたら、その1日何をしますか?800字以内で書きなさい。」」はこちら

イラスト:萩原ゆか

今年はコロナの影響で、予定通りに開催されなかったものがたくさんあったが、その中で(さすがにオリンピックを除いて)報道の量が一番多かったものは、「花火」じゃなかっただろうか。

まずは、各花火大会の中止のニュース。そして「こういう時こそ打ち上げなくては」と全国の花火師たちが連携して開催された花火大会は「三密を避けて、打ち上げの時間と場所は秘密」としてまたニュースに(花火師って、ホント粋だなぁ!)。

あっても、なくなっても、ニュースになる。そんな花火大会だが、昔、そのニュースを教材として使った「伝説の授業」があった。

出会ったのは、15年前くらいの新聞だったと記憶している。こんな内容だった。

「墨田区の中学校の先生が、隅田川花火を見に行きなさいという宿題を出した。そして、次の国語の授業で、新聞5紙の隅田川花火の記事を切り抜いて持ってきて、どの新聞の記事が君が見た花火大会を一番如実に表してるか選んで、と言った」と。

なんてクリエーティブな授業なんだろう。

表現の幅。見る人の視点の違い。言葉についての微細な感覚。受けた生徒は、この授業1つで、どんなに深い体験を得られただろう。そして何より、一生忘れないだろう。

その先生に会いたい。それを受けた生徒たちの反応が知りたい。

調べようとまずは、切り抜いたはずのその記事を探すのだが、見つからない。探しても探しても、ない。

仕方なく、ネットで検索する。キーワードは、
「墨田区 隅田川花火 授業 新聞記事」

ヒットしたのは、来年の隅田川花火は、オリンピックを避けて10月に開催予定との記事。へー、そうなのか、夏開催じゃないんだ‥。違う。知りたいのはそのことではない。

あ、そうだ、日経だったかも。日経新聞の方に探してもらうと、早速翌日、メールが届く。添付に2007年10月26日朝刊。そこに、隅田川の文字。

 

「隅田川の花火を報じた新聞各紙を並べ、どの記事が現場の空気を最も鮮やかに伝えているか感じさせる。」

あった。この授業っぽい。だが…、墨田区と書いてない。花火を見に行く宿題がない。うーん、…ちょっと違う。

しかしその記事には、新しい情報が載っていた。

『学校図書館の本をすべて頭に入れ、晩年「生まれ変わって教師になるなんてこりごりだ」と自らを追い込むまでに、教職を究めようとした女性がいた。2005年に九十八歳で亡くなった大村はまさん。公立中学で教鞭をとり国語教育の第一人者として知られた。(略)教科書に頼らず次々に新しい「教え」を編み出した。』

この授業を編み出した方は、大村さんというのか。検索ワードを変えてみる。

「隅田川花火 授業 大村はま」

今回は、よりビビットな情報をGoogleが出してくる。

・この授業は大田区石川台中学校で行われた。
・新聞4紙の7つの記事で行われた。
(複数面に渡って記事があったため)
・行われたのは1979年。隅田川花火はその前々年まで中止で、再開した翌年だった。

なるほど。そうか。元々の切り抜きは出てこないので推測すると、

推測1:僕が見た記事は、大村さんの授業にインスパイアされた墨田区の中学の先生が、地元だし「実際に隅田川花火を見に行く」ことを足し、「新聞4紙→5紙の切り抜き」で行った授業のことだった。

推測2:そもそも見たのはこの日経の記事だったが、面白いなあ面白いなあと思っているうちに、妄想で勝手に自分で色々付け足してしまった。それはもう、どちらでもいい。

こうなったら、とにかく、花火の授業のオリジナルに触れたい。と、その源流へと話は向かう。

まずは、花火の授業の考案者、大村はまさんの著作があるだろうか。amazonの検索窓に「大村はま」と入力して調べる。関連著作数、その数、なんと…135。その中から2つポチッとする。

 

最初に「授業を創る」から。

「私の好きだった語彙指導単元に、隅田川の花火の新聞記事を使ったのがあるのですが、それは表現を重ねて考える、それによって、言葉の感覚を磨く教材としていいものでした。」

あった。間違いない。

「私はすばらしくいい教材だと思いました。(中略)胸の中に描いているのは夜空の花火です。私はこんな教材はめったにないと思い、自分でこの教材にほれぼれしました。なかなかこういう教材はないのです。」

続いて「大村はま 優劣のかなたに」を読む。これは、大村はま記念国語教育の会事務局長の苅谷夏子さんが、先生の全ての著作から60個の言葉をチョイスされたもの。

もう、本当に本当に素晴らしい本で、たくさん引用したいところだが、ここではわかったことだけ2つ書くと。

著者の苅谷さんは生徒として大村先生の授業を直々に受けられた方だということ。

そして、大村さんは、毎回オリジナルで教材を生み出し、同じ教材を使わないことで有名であるということ。

世界初の授業で、生徒と共にまだ見ぬ領域を探究する先生。教育のクリエーター中のクリエーターだったのだ。

こちらも探究の手を止めるわけにはいかない。本を閉じ、再びPCへ向かう。

検索するは、「大村はま記念国語教育の会」。

HPからコンタクトを取る。この原稿の締め切りに間に合いますように…、その前にそもそも、怪しい人だと思ってスルーされませんように…。

数時間後、メール受信の音がする。送信者は、「優劣のかなたに」の著者、苅谷さんだった。

『お尋ねの「花火の表現くらべ」の単元は、大村の仕事の中でも代表的なものの一つです。ちょうどコンパクトに書いたものもありますので、添付します。』

それは、「大村先生が教壇を去る最後の夏、昭和五十四年七月二十八日の隅田川花火大会を報道した翌日の新聞四紙の記事を教材に」した授業が克明に記録されたファイルだった。オリジナルにたどり着いた。
 

苅谷さんにお送りいただいた添付ファイル。これはもう宝物と思ってる。

 
この貴重なファイルを読むと授業の雰囲気がよくわかる。

「朝日、読売、毎日、東京の四紙の一面を飾った花火の写真。八十五万人が一緒に見たという花火が、さまざまな表現で書き表されている。(中略)さっそく計七枚の記事を生徒の人数分コピーして、表現くらべの単元となった。同じ花火を同じ空の下で見た人たちの表現を比べてみることで、ことばに対する感覚を鋭くする、それがこの単元の目的だ。」

生徒たちへは、比べるためのてびきも配られたらしい。内容は、「一致して同じことばの使われているところもある。どんなことばか?」「同じ情景を別のことばを使って表しているところもある。どう違うのか、説明のむずかしいような小さな意味の違い、語感の違い。まず、細かく読んで、比較してみるところを見つける。次に、つっこんで考え、味わうこと。」「心にひらめいたこと、友だちのちょっと言ったことをすかさず書きとめる。」など。

教材として使われた新聞4紙の記事のテキストもある。この年は隅田川花火復活直後ということもあって、やはり扱いが大きかったらしい。短いもので500文字くらい、長いもので途中略されていても800字程度ある。

この記事の表現を中学生が比べたわけだが、たとえば花火の上げ方について

『毎日新聞は「絶え間なく」、読売新聞は「息もつかせず」、そして朝日新聞は「ぽんぽんと気ぜわしく」と書いた。その朝日新聞の「気ぜわしく」という表現に対して、ある女子生徒が「気ぜわしいという言い方は、楽しさが感じられない、楽しかった花火の晩に似合わない」と主張したことが学習記録に残っている。班で意見のやり取りがあった。「だって、それほど、どんどんどんどん上がったんだ。気持ちを落ち着かせる暇もないほど、せかすような勢いで。だから、気ぜわしいという表現自体は正確なんじゃないか」という仲間の意見。それに対して彼女は、「確かにそう。だから、ほかの新聞が“絶え間なく”とか“息もつかせず”と書いている。でも“気ぜわしい”という言い方は変に感じる」とこだわったらしい。実際、「気ぜわしい」というと、落ちつかない感じ、もうちょっとゆっくり余裕がほしかった、というようなニュアンスがある。「ぽんぽんと」と付くのでよけいにそんな印象が強まる。

それでも班で意見を交換するうちに、この生徒は結局、後から後から打ち上げられた花火の様子を表現するのに、かえってあまり使わない言い方である分、それだけ強い表現かもしれない、という説に説得されたらしい。最後には「このことばづかいはおもしろいと思った」というふうに書いている。』

この調子で、他にも花火の発数や川面の観覧船の数などの数字の表現力、「堪能」「酔う」「歓声とため息がもれる」「うっとり」「楽しんだ」「見とれる」など花火を味わう人々の様子の表現、「光のパノラマ」「光と音のページェント」「光の絵巻」「七色の虹」といった花火の上がった夜空の様子の表現を比べたことが、記されている。

『どうだろう、中学二年生たちの発見、分析の豊かであること。この単元を締めくくることばとして、ある記録には次のようなことばが書きとめられている。

「細かく見ていけばいくほど、いろいろなことに気がついてきました。だからやり始めて、楽しくて楽しくて、話し合いが進むごとにとてもうれしい気分でした。一つの平凡な、そこらへんにあるようなことばでも、なにか別のことばを付け加えることによって、見違えるほどすばらしいことばになったり、読み方によっても感じがちがってくることがわかりました。」

この「楽しくて楽しくて」ということばには、実感がこもっている。ことばを味わいながら、クラスのあちこちで、中学生の心の中に盛大に花火が上がっていた(後略)』

 
約40年前。プロの記者が書いた文章を、中学生がこんな風に比べた授業があったのだ。こんなにも、活発に。こんなにも、クリティカルに。

最後に、大村先生の言葉を本から1つ引用する。

「ことばというのは、一つ身についたときに、ぱあっとどこか生活の一場面というか、人生の一場面というか、人間の一部分というのか、そういうところが開いていくような気がいたします。そして、ことばはたった一つですけれども、ほんとうにわかったというときには、私はたしかに心がそれだけ太ってくるし、また、おおげさな言い方をすれば、人生の一部がほんとうにわかっていくのではないだろうかと思います。…ことばはほんとうにそういう力のある、人間というものを開いて見える窓というような気持ちがいたします。」(書籍『優劣のかなたに』より)

学校では国語の授業で、さらには広告業界で仕事として20年、言葉について学んできた。しかし、ここに来て、国語の、教育の、言葉の、巨人に出会ってしまった。

もう一度、言葉について学ぼう。

そういう思いで、学校の先生でもないのに、大村はま記念国語教育の会に入会させていただいた。この2人の師弟から、これから学ばせてもらうことは、またどこかに書こうと思っている。または、トークセッションなどにしたい。その時はぜひご参加ください。そこで、また、伝説の授業が生まれるかもしれないから。

この原稿の執筆にあたり、日経新聞桜井陽さん、大村はま記念国語教育の会事務局長苅谷夏子さんに、多大なるご協力をいただきました。ありがとうございました。

倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)
倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)

2000年電通入社、クリエーティブ局配属後、多数の広告を制作。2005年に電通のCSR活動「広告小学校」設立に関わった頃から教育に携わり、数々の学校で講師を務めながら好奇心と発想力を育む「変な宿題」を構想する。2014年、電通社員の“B面”を生かしたオルタナティブアプローチを行う社内組織「電通Bチーム」を設立。2015年に教育事業として「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」を10人の社員と開始。以後、独自プログラムで100以上の授業や企業研修を実施。2020年「変な宿題」がグッドデザイン賞、肥前の藩校を復活させた「弘道館2」がキッズデザイン賞を受賞。

倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)

2000年電通入社、クリエーティブ局配属後、多数の広告を制作。2005年に電通のCSR活動「広告小学校」設立に関わった頃から教育に携わり、数々の学校で講師を務めながら好奇心と発想力を育む「変な宿題」を構想する。2014年、電通社員の“B面”を生かしたオルタナティブアプローチを行う社内組織「電通Bチーム」を設立。2015年に教育事業として「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」を10人の社員と開始。以後、独自プログラムで100以上の授業や企業研修を実施。2020年「変な宿題」がグッドデザイン賞、肥前の藩校を復活させた「弘道館2」がキッズデザイン賞を受賞。

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