【前回コラム】「追っかけ=非モテの構図は前近代的? 「推し」に見る若者の「恋愛」意識の変化」はこちら
「推し」コラムも今回で最終回。これまでの内容を振り返ると、第1回は「“ニッチ”でも深いコミュニティに根差したキャラクターの経済圏がこの10年で急成長する中、『萌え』から『推し』にユーザーとキャラの関係性も変わってきている」という話。第2回は「『鬼滅の刃』にみるようにキャラ生産のメインプラットフォームがマンガでなくアニメになってきている」話。
第3回は特に女性ユーザーを中心に「キャラ商品が“消費財”ではなく“表現財”として、痛バックのようにグッズを身に着け作品コミットしていく」話。第4回は「TVメディアを中心にアイドル文化を築いた50年間、それをこの10年アニメ系声優タレントが上回っていく」話。第5回で「変わる恋愛観のなかで結婚とも性愛とも異なる『恋愛』として非現実のキャラへの“推し”によって人々が生きる感覚を取り戻している」という話を書いた。
この全6回の特集で私が言いたかったことは、実はたったの1つに集約される。それは、“ユーザーは消費者ではなく、共体験者である”ということだ。
ユーザーは商品(ハードウェア、キャラクター、世界観など)との関係性を、自分以外のファンとともに歩む物語のなかで、「消費」とともに「表現」しながら、時に「生産」もしていく存在である。「消費者」という言葉が多くの誤解を生んでいるが、「商品機能の消費」という前近代の購入動機はあくまで1つの要素でしかない。
「商品世界への参加」も「商品の過度なファンであることの顕示」も「商品の二次的な創造行為」も、商品の強い購入動機になっている。そして表現・生産(時には許されざる二次創作にせよ)する熱量そのものが、商品価値を高める。
ユーザーが表現したり、生産に加担するほど「好き」になってもらうためには、メーカーは「好きとは何か」についてもっとデリケートにならねばならない。カラオケルームは「歌を歌いにいく」という動機づけの根本に「密室で過ごす」「防音のなかで騒げる」「長時間過ごしても迷惑かけない」という“根源的動機”を再構築して、これまでと違うファミリー層やビジネスマン向けに別機能を提供している。
アプリゲームは「ゲームを楽しむ」の背景に「時間を簡単につぶす」「見えない相手と競争・協力する」「つぶした時間をゲーム内資産価値に変える」といった動機を発見し、客層を10倍以上に広げた。
ネットと発信メディアのおかげで消費が個人的なものでなく、社会的なものになった21世紀。商品設計はこうした表現・生産のインセンティブを随所に忍ばせ、ユーザーが受動的消費⇒能動的消費⇒能動的表現⇒商品世界構築への加担、という具合に、ユーザーが成長していく体験の筋道をプランニングする必要が出てきている。
ユーザーに商品を「自分たちの友人」のように扱ってもらうには、価格・機能による差別化よりもまず優先すべきことがある。それは「自分たちの友人がそれを友人のように扱っている」ことである。ファンがいなければファンは生まれない。鶏と卵のような禅問答であるが、誰かが愛好を表現していないものは、誰からも愛好されない。愛されたければ「〇〇が愛している」ということを、相応の熱量で〇〇に表現してもらい、生産者となってもらう必要がある。
シンガポールのカジノ・ホテルなどの総合コンプレックスである「マリーナ・ベイ・サンズ」ではTwitterのフォロワーが10万人を超えたゲストを、ホテル情報を幾つかツイートしてもらうことを条件に無料招待していたりする。10万人に影響力のあるインフルエンサーに「サービスに共感・感動している」というフォトジェニックな発信をしてもらう効果を考えれば、5-10万円といった個人としての消費支出など無視できてしまう。
そのくらい「商品ストーリーに表現者・生産者として加担し、インフルエンスしていく」ことの価値があがっているのだ。
だが買収することはできない。お金のみを動機づけとしたインフルエンサーは、彼ら自身のブランドの棄損とともに、その商品に対するメッセージそのものにほとんど信ぴょう性をもたせることができなくなる。
チャンネル登録者100万人のYoutuberだろうと、口コミは彼ら自身がその商品に個人的な思い入れが無い限り意味をなさない。それならばチャンネル登録者1万人でも、その商品を愛してやまない無名のYoutuberのほうがむしろ効果を上げることも多い。だから商品の価値をあげるのは「広告」ではないのだ。あくまで「能動的な共感や興味」なのである。
大勢の人に愛されるN=2000万人の『鬼滅の刃』を最初から企図することは難しい。だが、「鬼滅の刃」にせよ、何にせよ、ほとんどの商品はN=200から始まっている。
N=200をN=2万にするのは商品の企画者・プロデューサーの仕事である。N=2万をN=200万にするのは企業のマーケティング力、時に資本力の勝負が必要である。そこまでが我々の仕事だ。N=200万を2000万にするのは、もはや神の御業のようなもの。たまたま、そういう星のもとに生み出されたかどうか、といったレベルの話である。
自分の個人としてのクリエイティビティに共感できるN=200という顔がみえるファンをつくる。その一番熱心なファンがすべての基盤であり、そこからしか始まらないのだ。そうした「推し」を生み出す力こそが、2020年代の企画者たちが身に着けるべき作法だろう。